文字サイズ
    文化庁から「日本遺産」に認定された全国各地の文化財・伝統芸能をご紹介します。
    関東

    江戸庶民の信仰と行楽の地~巨大な木太刀を担いで「大山詣り」~【神奈川】

     【概要】大山詣りは、鳶などの職人たちが巨大な 木太刀 ( きだち ) を江戸から担いで運び、滝で身を清めてから奉納と山頂を目指すといった、他に例をみない庶民参拝である。そうした姿は歌舞伎や浮世絵にとりあげられ、また手形が不要な小旅行であったことから人々の興味関心を呼び起こし、江戸の人口が100万人の頃、年間20万人もの参拝者が訪れた。大山詣りは、今も先導師たちにより脈々と引き継がれている。首都近郊に残る豊かな自然とふれあいながら歴史を巡り、山頂から眼下に広がる景色を目にしたとき、大山にあこがれた先人の思いと満足を体感できる。
    <2016年4月認定。以下は、認定申請書類から引用>

    • 阿夫利神社
      阿夫利神社
    • 宝城坊
      宝城坊

     大山(おおやま)への信仰は古く、奈良時代には、霊山寺(りょうぜんじ)(現・宝城坊。通称・日向薬師)、石雲寺(せきうんじ)大山寺(おおやまでら)が開かれ、平安時代にまとめられた「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記される阿夫利(あふり)神社や比々多(ひびた)神社、高部屋(たかべや)神社の成立などにより、信仰の地としての姿が整えられていった。大山は別名を「雨降山(あめふりやま)」と呼ばれるなど、雨乞い、五穀豊穣、商売繁盛を願う多くの庶民が「大山詣(おおやままい)り」に訪れた。しかしながら、人々を惹き付けたのは神仏の御利益だけではなかった。

    大山詣りを仕掛けた御師の生い立ち

     戦国時代末期の天正18年(1590年)、豊臣秀吉の軍勢により北条氏が滅ぼされた戦いにおいて、大山の修験者(しゅげんじゃ)たちは武装し北条氏と共にいた。その後、江戸近郊に僧兵の武装勢力があることに危機感を持った徳川家康は、大山を純粋な信仰の地とするため山内改革(さんないかいかく)を行い、寺領を寄進し経済的な支援をする一方で、修験者や妻帯している僧侶たちを大山寺から追放した。

     家康に下山を命じられた者たちはその信仰心を断ち切らず、生き残り策として中腹で神殿を備えた宿坊を営む御師(おし)となった。御師たちは、宿坊や土産物屋を営みながら、年に100日以上にわたり関東一円の檀家を廻って御札を配り、初穂(はつほ)を集め、大山寺に(まつ)られる「不動明王」と山頂に祀られる「石尊大権現(せきそんだいごんげん)」の霊験を広める地道な布教活動に励んだ。

    2017年03月31日 10時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    PR情報
    PR
    今週のPICK UP