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    文化庁から「日本遺産」に認定された全国各地の文化財・伝統芸能をご紹介します。
    関東

    「いざ、鎌倉」~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~【神奈川】

     【概要】鎌倉は、源頼朝によって幕府が開かれた後、急速に都市整備が進められ、まちの中心には鶴岡八幡宮、山には 切通 ( きりどおし ) 、山裾には禅宗寺院をはじめとする大寺院が造られた。この地に活きた武士たちの歴史と哀愁を感じられる古都鎌倉は、近世には信仰と遊山の対象として脚光を浴び、近代には多くの別荘が建てられたが、歴史的遺産と自然とが調和したまちの姿は守り伝えられてきた。このような歴史を持つ古都鎌倉は、自然と一体となった中世以来の社寺が醸し出す雰囲気の中に、各時代の建築や土木遺構、鎌倉文士らが残した芸術文化、生業や行事など様々な要素が、まるでモザイク画のように組み合わされた特別なまちとなったのである。
    <2016年4月認定。以下は、認定申請書類から引用>< 観光情報は、こちら

    鎌倉幕府の成立

     鎌倉は、12世紀末に源頼朝が幕府を開き、貴族社会から武家社会への転換という、革命的な変化が起きた舞台であり、本格的な武家政権が誕生した地である。

     鎌倉は、政権所在地となって以降、幕府によって急速に都市整備が進められた。南が海、三方を山に囲まれた内側には、まちの中心及び基軸として、政権の守護神鶴岡八幡宮とその参道の若宮大路が建設され、山には内外を結ぶために尾根を垂直に掘り下げた「切通」と呼ばれる道が開削された。また、切通近辺の山裾には、大寺院が建立されるなど、鎌倉のまちの基本構造はこの時代にほぼ確立した。

    • 流鏑馬(鎌倉市観光協会提供)
      流鏑馬(鎌倉市観光協会提供)

     さらに、幕府は宗教政策にも積極的に取り組んだ。特に禅宗は、坐禅と問答によって悟りを開こうとする修行の形式が武士の趣向に合ったことや、茶や美術工芸など当時の最先端を行く中国文化を伴っていたことから手厚く保護され、多くの禅宗寺院が建立された。

     中世都市鎌倉は、幕府滅亡後も室町幕府の東国支配の拠点(鎌倉公方)として大いに繁栄したが、公方の移転に伴って徐々に衰退し、戦国時代には静かな農漁村となった。

    2017年03月31日 10時40分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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