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    文化庁から「日本遺産」に認定された全国各地の文化財・伝統芸能をご紹介します。
    北陸・信越

    木曽路はすべて山の中~山を守り山に生きる~【長野】

     【概要】戦国時代が終わり新たな町づくりがすすめられると、城郭・社寺建築の木材需要の急増は全国的な森林乱伐をもたらした。森林資源が地域の経済を支えていた木曽谷も江戸時代初期に森林資源の枯渇という危機に陥る。所管する尾張藩は、禁伐を主体とする森林保護政策に乗り出し、木曽谷の人々は、新たな地場産業にくらしの活路を見出した。そして、江戸時代後期、木曽漆器などの特産品は、折しも街道整備がすすみ増大した 御嶽登拝 ( おんたけとはい ) の人々などによって、宿場から木曽路を辿り全国に広められた。江戸時代、全国に木曽の名を高めた木曽 ( ひのき ) や木曽馬、木曽漆器など伝統工芸品は、今も木曽谷に息づく木曽の代名詞である。
    <2016年4月認定。以下は、認定申請書類から引用>

    木曽地域と 木年貢 ( きねんぐ )

    • 木曽馬と御嶽山
      木曽馬と御嶽山

     長野県南西部、塩尻市から木曽郡にかけての木曽地域は、総面積1,836平方キロメートルと小さな県に匹敵する広さを有する。遥かに仰ぐ御嶽山は古より魂の還る霊山として人々の信仰をあつめ、その裾野を流れる木曽川は檜の山林と奇岩の渓谷を映し、木曽川沿いに街道木曽路が続く。

     木曽路を包む木曽谷の約9割は森林地帯である。豊臣秀吉の時代、木曽地域は、狭い耕地の作物だけでは領民を養えない地域として、領民は米年貢(米の年貢)の代わりに木年貢(木の年貢)が課され、領民には木年貢を納めることで米が支給された。木年貢は、米が経済の基礎であった江戸時代になっても踏襲され、森林資源が木曽地域の人々のくらしを支えていた。

    2017年03月31日 10時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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