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若い女の子が同じに見え、愕然


最近、頻繁に髪形のマイナーチェンジを繰り返す斉藤まりあアナ(右)と鈴木記者

 ドラマ「ギャルサー」(日本テレビ系、土曜夜9時)を見ていて、登場する若い女の子たちの見分けがつかないことに、愕然(がくぜん)とした。同じような髪形、化粧で登場する彼女たちが、同じ顔に見える。このボヤきは、かつて「オバサン」や「オジサン」に自分が言われていたのと同じせりふではないか。

 「若い女の子が同じに見える」という言葉は、私の知る限り、過去30年、年長者から発せられ続けてきた。背景にあるのは、個性を出すのは良いこと、という考え方で、「(私は年とって無理だけど)あなたは若いんだから、冒険したら」といういささか無責任な励まし、なのだと思う。

 しかし、いつの時代も若者は、強いられてもいないのに、同じおシャレをするのである。

 なぜだろう、と考えていて、明治時代から現在までの日本人のメークの歴史を解き明かした「お化粧しないは不良のはじまり」(山本桂子著、講談社)という本に行き当たった。

 美容ライターの著者によると、もともと日本では、メークをする時に自分を主体にせず、周囲の色彩との調和を第一に考えていた。個性重視、個性的なメークこそが素晴らしいというのは、戦後流入した欧米流の考え方なのだそうだ。

 著者は、日本人にとってメークは、自分のキャラクターを表現するものではなく、「キャラクターを自分に着せる」仮面のようなものだと分析。皆が同じメークをすることも、「『型にはまったメーク』というクッションを1枚はさむことで、対人関係の無用の衝突を避けられる」と評価している。同じメークをすることで、集団生活を円滑に進める、というわけだ。

 そう考えれば、「ギャルサー」の同じ化粧も納得がいく。なるほど、と思いながらドラマを見直した。やはり区別はつけられなかったが。

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プロフィール
鈴木美潮  すずき・みしお
読売新聞東京本社文化部記者
 1989年入社。横浜支局を経て政治部。官邸、社会党、外務省などを担当後、Yomiuri Weekly編集部に。2002年から政治部で保守新党、自民党などを担当。美空ひばりと特撮ヒーローの熱狂的なマニア。



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