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高校球児に新たな道<2>

悔しさバネ成長誓う

「真剣勝負の野球に挑戦し続けたい」と話す長谷川投手(坂井市の県立春江工業高で)

 2007年11月22日、坂井、小浜両市内にある2高校で、2人の高校生が胴上げなどで仲間たちから祝福を受けた。春江工の長谷川裕太と若狭の平谷友佑。プロ野球独立リーグ・BCリーグのドラフト会議の結果、ともに地元の福井ミラクルエレファンツ入団が決まった。県内屈指の左腕と評された両投手が、新たなチャレンジの場を得たのだ。

 日本高校野球連盟によると、07年5月現在の加盟校の硬式部員数は、16万8501人。10年連続で増えており、過去最多の前年度を2187人上回った。野球人気の低下が言われて久しいが、白球を追う球児たちは確実に増えている。

 全国の高校球児が卒業後も「野球を続けたい」と志す時、日本の野球界がこれまで用意していた進路は「日本プロ野球組織(NPB)」「大学」「社会人」という三つの選択肢だった。そこに、各地で広がりを見せるプロ野球独立リーグが加わった。

 昨夏の全国高校野球選手権福井大会。長谷川、平谷はともに、忘れがたい悔しさを味わった。

 敦賀市運動公園野球場での1回戦。長谷川は序盤から相手打線に打ち込まれた。6回途中で被安打15、自責点8。味方打線も11安打を放ったが、及ばなかった。「けがさえなければ」――。試合後、長谷川は涙をぬぐった。

 大会の約2か月前、体育の授業中に右足をひねり、足首のひ骨を折った。病院で診察を受けながら、「県大会は無理かもしれない」との思いが頭をよぎった。病室を訪れた監督やチームメートは、「早く治せよ」「ホームランを打ってやるから」などと寄せ書きをした球を手渡してくれた。

キャンプ入りに備えて自主トレを積む平谷投手。「野球経験の豊富な選手から知識、技術を吸収していきたい」(小浜市の県立若狭高で)

 「少しでも早く、マウンドへ戻りたい」

 医師から「ギプスを付けて治療するよりも、早く練習が再開できる」と勧められ、金属プレートを患部に入れる手術を受けた。リハビリにも励んだ。そのかいあって順調に回復し、7月初旬には練習試合に登板した。だが、本来の球威は戻らなかった。

 平谷は、マウンドにすら立てなかった。県営球場の開幕戦。初回に7連打を浴びて5失点するなど、いつもと違って精彩を欠いたチームを、スタンドからぼう然と見守るしかなかった。チームが敗れた瞬間、「高校生活が終わった」と天を仰いだ。

 キレの良いスライダーを武器に、エースとしてチームを引っ張ってきた。2年の冬に左ひじを痛めてからは痛み止めの薬を飲み、投げ続けてきたが……。「仲間たちに申し訳ない気持ちでいっぱいだった」と振り返る。

 野球への強い思いが残った2人。転機になったのは、県内にもプロ野球球団が設立されるというニュースだった。長谷川は就職を、平谷は大学進学を考えていたが、BCリーグの合同トライアウト(選手選考会)に挑み、合格した。

 トライアウトを視察した福井監督の藤田平は「将来性があるなと感じた。今後の成長次第で、NPBを目指すことも可能になるのでは」と期待を寄せる。

 約40年にわたり強豪・福井商の野球部監督を務める北野尚文は「野球を続けたいと思う球児にとってNPBは狭き門。進めるのはひと握りでしかない。野球を続けられない有望選手もたくさん見てきた。社会人野球が縮小傾向にある中、独立リーグが今後、球児らの新たな進路、目標になってくれたら」と話す。

 「あの夏がなかったら、就職していただろう。チームに貢献し、一人でも多くの人を引きつける選手になりたい」と決意を語る長谷川。「独立リーグで必死に努力し、活躍することで、一度は裏切ってしまった期待に応えたい」と力を込める平谷。2人が選んだ道は険しいが、希望もあちこちに芽吹いている。

(文中敬称略)

2008年1月3日  読売新聞)
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