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<9> 手順書安全願い分厚く

 日本原子力発電敦賀原発1号機(敦賀市明神町)の中央制御室の片隅に並ぶ十数冊の運転手順書。今日も、運転員らが折に触れてひもといているはずだ。「様々な経験を付け足すうちに、どんどん分厚くなった。私を含め、多くの人たちの安全運転への思いが凝縮されている」。原電の関連会社「原電事業」参与の河端誠二(63)が、手順書の作成に取り組んだ往時へ思いをはせた。

 原電社員だった河端は、運転開始1年前の1969年、敦賀1号機に着任。運転の準備は、メーカーの米ゼネラル・エレクトリック(GE)から渡された手順書を翻訳し、自分たちなりのマニュアルを作り上げるところから始まった。操作の流れを順に追えるような記載を目指し、辞書を片手に格闘。原電社員やGE担当者、各電力からの出向者らによる話し合いは連日深夜に及んだという。手順書は完成後も、国内外で大きなトラブルがあるたびに課題点などの追記を重ねている。

 「手順書をはじめ、自分たちの思い出が詰まった発電所。頑張って稼働を続け、社会に貢献してほしい」

 58年に関西電力に入社した神垣芳次(69)は美浜原発1号機(美浜町丹生)の建設に携わり、運転開始後は30年以上その補修を担った。「点検していない機器はないんと違うかな」と目を細める。

 今でも思い出すのは、76年に発覚した核燃料棒折損事故。核燃料の破片を回収するのに2年近くかかった。「原子炉の中に入ったり、配管にフィルターを付けて水を循環させたりと苦労したが、“補修屋”として、何としても見つけてやると思った」と振り返る。

 「美浜1号機はまだまだ働ける。ずっと補修してきた自分が言うんだから間違いない」

 一方、地元住民は複雑な視線を2基の原発へ向ける。40年近くの間、事故やトラブルを大なり小なり起こし続け、そのたびに不安や風評被害にさいなまれてきた。敦賀1号機に近い敦賀市立石区長の道下泰宏(67)は「『絶対に安全』と約束したから建設を認めたのに。原発があることは地区にとって本当に良かったのかとよく考える。答えは今も見つからないがね」とため息をついた。

 沸騰水型軽水炉と加圧水型軽水炉という原発の2大炉型のそれぞれ〈国内1号機〉である敦賀1号機と美浜1号機。人々の様々な思いを受け止めながら、年が明ければ順に40年超運転に入る。(敬称略)

 (第1部おわり 木下聡、冨山優介が担当しました)

2009年12月27日  読売新聞)
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