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<3>称名寺旧博多大仏台座

 ◇福岡市

石製台座の横で、「身近な場所に残る戦跡を通して平和の大切さを訴えたい」と話す川口さん(福岡市東区馬出で)

 ◆身近な戦跡掘り起こす 元教諭・川口さんが36か所確認、案内役も

 「戦争は人の命を奪うだけでなく、文化までも破壊してしまう。その象徴だよね」

 福岡市東区馬出の称名(しょうみょう)寺。元小学校教諭、川口勝彦さん(75)(福岡市早良区梅林)は、大仏という主(あるじ)を失った石製台座を見上げ、つぶやいた。

 青銅製の釈迦如来座像「旧博多大仏」は博多仏師、高田又四郎(1847〜1915年)がその原型を制作し、1912年(明治45年)に称名寺に建立された。高さ約5・5メートルの堂々とした姿は地元でも親しまれていたが、戦争激化に伴い、44年、金属供出のため姿を消した。今では大仏があったことさえ知る人も少ない。

 川口さんは57年に小学校教諭になって以降、福博の町に残る戦災の跡をたどり続けている。

             ◇                            ◇

 同市博多区冷泉町出身の川口さんは、国民学校の6年生だった45年6月19日、福岡大空襲を体験した。

 「ウー、ウー」と空襲警報が鳴り響くなか、いったんは自宅の防空壕(ごう)に避難したが、「遠くに逃げろ」という男性の声で、母、姉2人と自宅を飛び出した。焼夷(しょうい)弾で町が燃え、南の空は真っ赤に染まっていた。

 旧博多駅や旧十五銀行ビルへ避難しようとしたが、「すでに避難した人々でいっぱい」と聞き、東公園そばの防空壕へ。翌日、壕から出ると、旧十五銀行ビルから次々と遺体が運び出されていた。空襲による火災や酸欠で地下室に避難した60人以上が死亡。その悲惨な光景は今も目に焼き付いている。「身近な戦争の事実を引き継いでいかなくては」。年々、その思いは強まっている。

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 在職中から、文献や地元のお年寄りの話などを頼りに、暇を見つけては、市内に残る戦跡を訪ね歩いた。民家の床下に残る防空壕、寺を直撃した焼夷弾の破片、犠牲者を合祀(ごうし)した地蔵……。これまでに自身の目で確認した戦跡は36か所。台座もそのひとつだ。

 5月31日。教諭ら約35人を連れ、称名寺や防空壕跡など18か所を巡った。2006年から、福岡市教職員組合青年部が毎年開催する「福岡大空襲フィールドワーク」の案内役を務めている。

 参加者から「こんな戦跡が身近にあるとは知らなかった」「子どもへの平和教育に生かしたい」などとの感想が寄せられた。同青年部の杉山幸人部長(32)は「戦争を知らない世代が戦跡を自分の目で見ることは重要」と話す。

 旧十五銀行ビルは99年に博多座に建て替わった。戦跡は確実に姿を消している。川口さんは「『悲惨な歴史が忘れられてしまうのでは』との危機感は募るばかり。だから、今のうちに、戦争のつめ跡をきちんと若い人たちに伝えておきたい」と話す。(西村康英)

2008年8月12日  読売新聞)

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