ニュース 速報 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
現在位置は
です

本文です

手を合わせ、前を向き 第10回 あす20年

父を失い警察歯科医に 父となり「幸せ」気づく

写真:写真説明
 上野村の日航機墜落事故はあす12日、20年を迎える。遺族は今年も、御巣鷹の尾根の墓標の前で、自宅の遺影の前で亡き人と会話を交わす。

 兵庫県豊岡市の歯科医河原忍さん(56)は自宅で、写真の中の父、歯科医だった道夫さん(当時64歳)に手を合わせる。

 「少しでも早く」。出張帰りに乗っていた道夫さんを探すため、事故翌日の1985年8月13日、藤岡市に駆け付け、地元歯科医の勧めで身元確認に加わった。2週間通い、見つかったのは左腕と頭皮。遺品は焼け焦げた革靴、壊れた時計だけ。「おやじ、ごめん」。宿泊所の風呂で泣いた。

 しかし、医師や歯科医でつくる「群馬県警察医会」の活動を目の当たりにし、歯科医の弟、悟さん(51)と兵庫県での結成を働きかけた。86年に設立されると、2人は警察歯科医に名を連ねた。阪神大震災では約1か月で同僚と68人の身元を確認。今年4月のJR福知山線事故でも遺体安置所に駆け付けた。

 「息子を生きたまま返せ」。JR職員に詰め寄る父親に身の上を打ち明け、「一刻も早く(遺体を)お返しするように頑張っています」と声をかけた。父親は「わかりました」と一筋の涙を流した。日航機のトラブルが続く。河原さんは言う。「安全が忘れ去られていないか。命の重さを立ち止まって考える時だ」

     ◎

 奇跡的に助かった4人のうちの1人、川上慶子さん(32)の兄、千春さん(34)は島根県出雲市に住む。5年前に結婚し、長男の創也君(3)も生まれた。

 事故当時は中学2年生。野球部の練習のため、留守番をしていた。父の英治さん(当時41歳)、母の和子さん(同39歳)、もう一人の妹の咲子さん(同7歳)を奪われ、祖母のキミエさん、慶子さんと3人の生活が始まった。

 「生きている実感が持てなかった」。心臓の病気でキミエさんが入退院を繰り返すようになると、一家の大黒柱として重圧がのしかかった。高校2年の秋、不登校になり、中退。慶子さんは地元の高校から大阪の看護系短大に進んだ。

 「失敗や挫折を事故のせいにしていた。慶子に比べ、自分に弱さがあったかもしれない」

 町議として医療費貸し付け制度の創設に奔走した父、朝から晩まで患者さんのもとを駆け回った看護師の母。その姿を忘れることはなかった。親類の励ましもあって、通信制高校から大学に進学。福祉関連の会社に勤め、お年寄りの車いすを修理し、住宅の段差をなくす工事をする。

 慶子さんは2002年に結婚し、昨年夏に男の子を出産した。四国に移り住み、看護師を辞めて子育てに専念する。今年の大型連休には帰省し、墓前に長男の誕生を報告した。

 2人を見守ってきた伯母の池田富士子さん(65)は「平凡だが、地に足の付いた幸せをつかんでくれた」と語る。

 夫婦で支え合う生活や子供が生まれる喜び。「父も母もきっと経験していた。決して不幸ではなかった。両親と妹の命は次の世代につながっていくんだ」。千春さんはおもちゃで遊ぶ創也君をいとおしそうに見つめた。(おわり)

 (「風化させない」の題字は、遺族で沼田市在住の木内かつ子さん。連載は広中正則、松田陽介、加地永治が担当しました)

現在位置は
です