ニュース 速報 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
広告
現在位置は
です

本文です

汽笛響く森が誇り (2005年7月30日)

レール担いだ/時計代わりに/木に包まれて

 森の中を走る「雨宮21号」。1928年、東京の雨宮製作所で誕生した蒸気機関車は、翌年から網走・丸瀬布町の丸瀬布―武利意(むりい)間(総延長約84キロ)のムリイ林鉄で木材を運んだ。一時はスクラップになる危機もあったが、町民の運動で動態保存され、今も同町の「森林公園いこいの森」で、懐かしい汽笛を響かせる。

(萩原栄太)



写真:写真説明
雨宮21号の魅力を語る機関士の上戸智仁
 「ポー」と汽笛をとどろかせ、5両の客車を引っ張る11トンのSL。園内2キロを1周12〜13分で走る雄姿に、子供たちや鉄道ファンはくぎ付けになる。

 雨宮21号の機関士上戸智仁(うえとともひと)(34)は、遠軽高校を卒業後、北見市内の自動車販売店に就職。子供のころ、この機関車は遊具に過ぎなかったが、古里が恋しくなった22歳のとき、先輩機関士の小山信芳(45)に「やってみないか」と誘われた。働きながらボイラー技士の免許を取得し、93年、機関士になった。

 「走る姿は豪快。町の人が、苦労して残してくれた雨宮21号を守っていきたい」。握る運転レバーに力を込める。

● ○


写真:写真説明
谷口彊
 町内で雑貨店を営む谷口彊(たにぐちちよし)(64)は、カラ松の廃材を使い、雨宮21号の形をしたプランターを作った。6分の1の木製模型も製作し、いこいの森に展示した。

 30年ほど前、商工会青年部の仲間40人とともに、保存が決まった雨宮21号を走らせるため、林鉄の線路から、1本の重さが50キロもある5・5メートルのレール400本を、約30キロ離れたいこいの森に運んだ。「1か月、ほぼ毎日、午前3時半から二人一組で担いできた」

 二女の比沙子(ひさこ)(33)は、上戸と結婚した。「子孫のためにも、生きた財産を残したい」

● ○


写真:写真説明
秋葉実
 郷土史家の秋葉実(あきばみのる)(79)は、雨宮21号の汽笛を時計代わりに育った。「汽笛を合図に、家から5キロの道を歩いて小学校に通った」

 林鉄は1963年まで続いたが、51年ごろからディーゼル機関車が導入され、雨宮21号は廃車の危機に。地元紙「山脈(やまなみ)新聞」の編集長だった秋葉は56年9月、飲み仲間と買い取りを相談した。酒の勢いで仲間から「2万円出す」と声が上がり、秋葉も思わず「5000円」と叫んでいた。

 結局、寄付金を出さなくても、営林署が保存することで決着したが、町史に「復元して走り出し、汽笛が鳴った時には涙がこぼれた」と、思いをつづった。

● ○


写真:写真説明
梅木時子
 梅木時子(うめきときこ)(58)は、ヤマハピアノの鍵盤(けんばん)や響板を作る「北見木材」に、23年勤めている。木のおもちゃを扱う同社の木芸部で、役場や小学校に飾られている雨宮21号の壁画製作にも携わった。ヤスリで木に丸みをつけ、絵の具を重ねるなどすべて手作業。「おかげで肩も張ったし、指も曲がりました」

 雨宮21号が昨年10月、北海道遺産に選ばれたことから、模型のおもちゃの製作も検討している。「孫ができたら木のおもちゃをたくさん買ってあげて、丸瀬布が木の優しさに包まれた町だということを伝えてあげたい」と目を細める。

● ○


写真:写真説明
佐藤正美
 「丸瀬布町昆虫同好会」会長佐藤正美(さとうまさみ)(62)は83年に同会を設立。93年から、週休2日制に合わせて、小学生を対象に「わくわく自然体験教室」を開いている。13年目を迎えた今年も、町内の小学生の半分以上が、山登りやキャンプなどに参加する。キャンプでは、まきを運ばせ、雨宮21号の炉内で「火入れ式」を行う。

 「丸瀬布の空気、緑、生き物、星空。すべてが子供たちをすくすくと成長させる。雨宮21号も貴重な財産」。子供のように、はにかみながら語った。

(敬称略)

現在位置は
です