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鳴海 鼓大 システム・ケイ社長<上> (2006年1月10日)ネットの海でかじ取り
札幌市北15条にある同社の応接室。壁には青い海に魚が泳ぐ絵が描かれ、ギターが立てかけられている。「ギターは中学以来。バンド演奏は今はしないけど、疲れたり考えに詰まった時に弾いています」と、なめらかな指使いを見せる社長の鳴海鼓大(なるみたかひろ)(47)は、富山商船高等専門学校卒という珍しい経歴の持ち主だ。船を預かるリーダーを養成する学校で培われた判断力と自立心は、会社のかじを切る社長になった今も生きている、と話す。 船乗り目指し富山へ 鳴海は、1958年に日高のえりもで生まれ、後志・泊村で育った。父親は漁協に勤務。常に目前に海があったため、将来は外国航路の船長にあこがれていた。 中学生の時、村に大きな事件が起こる。原子力発電所の建設問題だ。電気の重要性を見越していた父親は賛成派だったが、周囲は大反対の嵐。子供心に町内での居心地の悪さを覚え、地元を出ようと、夢を追って富山商船高専を受験した。 同校は元海軍の士官養成学校。「全寮制で先輩後輩の序列や規律は厳しかったが、いい学校だった」と振り返る。 高専での課程を終え、仕上げとなる世界航海に出たのは20歳の時だ。ロサンゼルス、トンガ、ニュージーランドと太平洋をぐるりと航海した。最後に立ち寄ったのは中国の天津。日中友好条約が結ばれた後で、同港に入った日本船は戦後初だった。「その時の光景はずっと心に残っていた」と目を輝かせる。中国大陸を見た感動は、後に大連に支店を出すきっかけともなった。 人生の「逆転」かけ 船の生活にピリオドを打ち、6年ぶりに北海道に戻った。苫小牧での会社勤め。だが、「普通の仕事ができなかった」。指示されたことをこなすだけの日々に次第に違和感を覚え、半年で退職。その後、警備員やマージャン荘の店員など、職を次々と変える「今で言うフリーター」(鳴海)の生活が続いた。 転機となったのは84年、コンピューター専門学校への入学だ。幼いころの同級生たちは、すでに社会人として歩み出していた。花開き始めたコンピューター産業に、出遅れた人生の一発逆転をかけたのだ。 (敬称略、吉田典之)
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