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料亭「さわ田」女将 澤田 啓子さん<10> (2005年2月10日)

確執の解けた妹・・がんに逝く

写真:写真説明
芸者の傍ら、澤田さん(右)を手伝っていた妹。この頃から姉をライバル視するように
 1974年、澤田啓子はススキノにクラブ「さわ」をオープンさせた。昭和40年代、冬季五輪(1972年)で、街は最盛期を迎えた。66年に誘致が決まると、建設ラッシュに沸き、クラブや大型キャバレーが続々とオープンした。

 店外でお客さんが並んで待つほどで、2部の入れ替え制に。カラオケの普及前でしたが、シートレコード(ビニール製のレコード盤)で音楽を流し、歌詞カードを見ながら歌うのです。ピアノの生演奏も。店の女性たちの歌の余興が受けて流行(はや)ったものです。

 医師時代からの知り合いだった作家の渡辺淳一や、俳優・児玉清らも足を運んだ。店は政財界人や文化人の憩いの場に。勢いに乗った澤田は札幌にバーや喫茶店も開店させた。

 気力で何とかしのいでいましたが、無理は長く続かず体が悲鳴を上げました。子宮全摘出術、扁桃腺(へんとうせん)の手術、肥厚性鼻炎の手術……。その時期はまるで“病気のデパート”でした。

 13歳年下の妹とはいろいろありました。私自身が無我夢中だったこともあって、かまってやる余裕がありません。妹は何かにつけて反抗するようになります。2年が過ぎ、20歳でお嫁に行きましたが、わずか10か月で店に戻り、芸者に出ることに。でも溝は埋まりませんでした。結局、あることがきっかけでけんか別れ。実父です。妹は実母と離縁した父を引き取ったのです。複雑な思いがしました。長女としての立場もありません。「もう来なくていい」と突き放してしまいました。開店から、10年以上がたった頃(ころ)のことです。

 8年前、2人はようやく仲を取り戻したが、その時、妹の体は乳がんに侵されていた。

 手術と聞いて、お見舞いに出向きました。ここで会わなければ一生後悔する、と。手術後、妹は私から本格的に踊りを習い始めました。でも、舞台を踏んだ頃から「足が痛い」と言い始めます。検査をすると、がんは背骨に転移していたのです。

 「お世話になりました」。私への妹の最後の言葉です。実母には「わがままばかり言ってごめんなさい」と。そして、子供に「おばあちゃんの言うことを聞いてね」と言い終えると、静かに息を引き取りました。

 享年44。2000年6月の空が青く澄んださわやかな日だった。

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