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料亭「さわ田」女将 澤田 啓子さん <2> (2005年2月1日)

「芸者になって…」 母は土下座した

 澤田啓子と弟2人は、復員後も働こうとしない父に見切りをつけた母とともに和歌山の新宮を離れ、親戚(しんせき)が暮らす秋田県神宮寺町(現神岡町)へと移った。


写真:写真説明
父親から逃れ、各地を転々とした幼少時代には、弟の面倒をよく見た
 弟の子守が私の日課。ある日、末の弟のお守りをしていました。あやしても泣きやまない。困り果てていると、突然泣き声がやみました。母を呼んで戻ると、弟は事切れていたのです。生後100日あまりの生涯でした。

 再び父が私たちの前に現れたのはそのすぐ後です。「やり直してみては」と親戚から勧められ、母は断れなかったようです。一家は新天地・札幌で暮らすことになりました。ひとまず伯母宅に居候です。一家で厄介になるのは肩身が狭く、父は母とけんかばかり。いさかいを目の当たりにして、泣きながら引き離したこともありました。

 かつての市電1条線終点の円山公園にほど近い、1部屋だけの小さなアパート。「今度こそ……」との家族の願いは裏切られる。

 母に言わせると、父は「運が悪かった」そうで、勤め先が倒産し、またもや貧困にあえぐ日々。借金取りが押し掛けるたびに、母は押し入れに隠れ、私は「わからない」と答えるだけ。給食費を払えず、昼食の時間は校庭に出て1人でブランコに乗っていました。

 いけないことをやってしまったのもこの頃(ころ)。1度だけ、お菓子欲しさに店の物を盗んで、弟と食べました。無我夢中で、味をかみしめる余裕などなく、食べるそばから泣けてきた。心の奥がツーンと痛んだあの感覚は、いつまでたっても忘れることはできません。

 ある夜、澤田は突然起こされた。すると、神妙な面持ちの母が目の前に座っている。「芸者になって」と切り出した。

 母は私の前で両手をついて土下座しました。「行ってくれないかい」。知り合いが、実情を見兼ねて話を持ってきたようです。私はその場で、「わかった」と答えました。

 すんなり受け入れたというよりも、選択の余地は無かった。芸者になるとお金をもらえる。借金を返せて、みんながご飯を食べられる。自分にそう言い聞かせました。お菓子を盗んだことも頭をよぎりました。2度とあんなことはしたくない。胸の内にこびりついたあの嫌な感覚が、決断を後押ししたのかもしれません。

 9歳の秋のことだった。

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