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「サザエ食品」会長 野村 とみさん<14> (2005年4月15日)

「子供のため、札幌に家を」夫残し函館発

写真:写真説明
わんぱく盛りの野村さんの子供たち(左から二男・孝君、三男・満君、長男・潤君)
 サザエの繁盛ぶりとは裏腹に夫の酒は相変わらずで、夫婦の溝は深まるばかりだった。

 夫のお酒は、年ごとにひどくなりました。子供たちの運動会で、渋る夫に何とかござを持たせて場所取りをさせ、店が一段落して駆け付けてみると、夫は酔っぱらってござの上で寝てる始末です。同居していた夫の養母が亡くなったときは、「知らせに行く」と家を出たまま4日も帰って来ません。途中で酔っぱらって帰りづらくなったのだと思います。私が一人でお葬式を出しました。

 とにかく、そういう人でした。仕事は真面目(まじめ)で、仲間の面倒見もよく、外での評判は良かったんです。お酒さえ飲まなければ、いい人だったと思います。お酒を取るか、家庭を取るか、何度も迫りましたが、次の日にはお酒を飲んでました。もう、この人とはいられないと思いました。

 夫との生活に失望した野村は1966年、離婚調停を申し立てる。

 そのころから、「札幌へ出ようかな」という気持ちになっていました。私が働いていたのは、子供たちのためでした。仕事、仕事で家庭を犠牲にし、母親らしいことは何一つしてあげられませんでしたが、大学へはやろうと思ってました。夫は経済的にあてにならないし、「中学を出たら、湯の川の旅館の下働きにでも出せばいい」って人でしたから。

 ある時、小学6年になった長男が新聞の住宅チラシをみて言ったんです。「こんな家に住みたいな」。漠然としていたものが、はっきり見えてきました。子供たちのために、札幌に家を建てる。札幌は都会だし、商売も大きくなる可能性がある。やると決めたら、すぐ行動するのが私の気性です。函館に骨をうずめようという気持ちは、もう失っていました。

 夫のほうは離婚調停の席にも酔って来るほどで、話になりません。離婚の成立は時間の問題でした。本人も気づいたんでしょう。「許してくれ」って初めて頭を下げたんです。夫婦ってしょうがないものですね。またズルズルと一緒に暮らすことになり、正式に離婚が決まったのは50歳になってからでした。

 野村は長男の高校進学を機に、札幌の中の島に店舗兼住宅を新築。夫を函館に残して家族5人の生活を始める。

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