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料亭「さわ田」女将 澤田 啓子さん <5> (2005年2月4日)

代議士の先生と恋に落ちて

写真:写真説明
狸小路では、正月になると芸者衆による「おとそサービス」が行われた(右端が澤田さん)
 昭和30年代、札幌は好景気にわき始めた。人口も戦後22万人だったのが倍以上に。料亭は数10軒。通りを歩けば三味線の音が流れていた。

 お料理屋さんからお料理屋さんへと流れる時代で、私は1日5、6軒回っていました。お花代だけで1か月10万円。でもどんなに働いても、お小遣いはわずか。生活はいたって地味。休みは月2回。昼はお稽古(けいこ)通い。でも、17、8の遊びたい盛りで、合間をぬっては、喫茶店へ出かけました。時間とお金をやり繰りして映画館へも。中村錦之助主演の「紅孔雀」など、お座敷後に着物姿のまま見に行くこともありました。

 赤く腫れた手に気付いたお客さんが、電気洗濯機を買って下さったことも。脱水機は手動。足袋を洗うと金具が引っかかりますが、それでも嬉(うれ)しくて、ひところ洗濯を楽しみとしていました。俳優の片岡千恵蔵さん、長谷川一夫さん、田宮二郎さん、天知茂さんとお座敷でご一緒したこともあります。

 ある時、実家を訪れると、初めて見る六歳の妹がいました。養女に出た後に生まれ、顔を合わせたことがなかったのです。父と離縁し、実母が働くので、私は澤田の母にお願いし、妹を引き取りました。肉親と過ごせる嬉しさもあって仕事にも力が入りました。

 恋もしました。家族の話をすると、静かに耳を傾け、「親兄弟のことをそんなに言わないで面倒を見なさい」と言って下さいます。なぜかもとの自分に戻れて。そばにいると、落ち着くような、優しい気持ちになれます。年は2回りも上。父性に触れたような気になっていたのかもしれません。

 澤田の母には内証なので、会うのも一苦労。夕方一番でその方の座敷に入り、次の居所を告げられると、別のお座敷ではいても立ってもいられません。約束の時間が来ると、「後口があるので」と出してもらいます。

 やっと2人になれても、次の場所もお座敷。表向きはお客さんと芸者。お料理屋さんにも悟られないようにしなければなりませんから。

 しかし、母の耳に入るのは時間の問題でした。代議士の先生になる方でしたので、母が怒るのも無理はありません。噂(うわさ)が広まるにつれ、意地悪もされました。芸者は人気稼業なので競争になるのです。先生がいる東京・赤坂で芸者として新スタートを切ることになりました。

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