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「北海道文化服装専門学校」学園長 谷内 勝子さん<11> (2005年8月14日)

大盛況のファッションショー

写真:写真説明
豊平劇場で開催したファッションショー
 各種学校の認可を受けて学校の基盤ができましたが、本格的な体制が整ったのは東京の文化服装学院の連鎖校になってからです。洋裁はパターンによって文化式、ドレメ式、伊東式などがありましたが、当時、札幌には文化式の洋裁学校がなくて、「教師を派遣するから、札幌に文化式を広めてほしい」ということになりました。学院長の義姉が結核で療養していたご主人が回復して一緒に東京へ帰ることになり、後任を探していたところだったので、東京の学院から2代目の学院長を派遣してもらいました。

 1951年(昭和26年)6月、東京文化服装学院の連鎖校となったのを機に「北海道文化服装学院」に改称。勝子は学院長代理を務める。

 教師のテキストも生徒の教本も、すべて文化式になりました。年2回、東京で連鎖校の教師たちを集めて講習会が開かれ、最新のファッション情報や技術指導を受けました。それまではモード雑誌を見て私たちがパターンを作っていたんですが、それも解消されました。私も毎年、講習会に参加しましたが、東京のファッション街を見て歩くのが楽しみでした。

 学校祭で初めてフロアショーを開いたのは、連鎖校になる前の年でした。生徒たちがモデルになって自作の衣装を披露したんですが、「どうせやるなら、たくさんの人に見てもらおう」と、翌年は豊平劇場でファッションショーを開催して大盛況でした。市内の洋裁学校の合同ファッションショーも、三越や丸井などを会場に開きました。当時は化学繊維が盛んになり、メーカーから生地の提供を受けて、各学校が何点か製作してショーを開いたんです。学校祭のファッションショーは毎年開きましたが、北海道のファッションの普及やレベルアップにつながったと思います。

 海外のファッションに直接ふれたのは昭和39年です。モード雑誌「装苑」が主催した欧州の服飾視察に参加し、40日間で13か国を回りました。1ドル370円の時代で、初めての海外旅行でした。ディオールを始め、いろいろなコレクションの発表会を見て刺激を受けましたが、特にカルダンの流れるような布の扱いや、きれいな色彩には感激して鳥肌が立ちました。「ブティック」という言葉を聞いたのも、その時が最初でした。

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