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料亭「さわ田」女将 澤田 啓子さん <7> (2005年2月7日)

別れ・・初恋の人の求婚に心揺れ

写真:写真説明
群舞で出演した「赤坂をどり」。赤坂花柳界が力を結集した舞台は大盛況だった(前列左が澤田さん)
 澤田啓子が赤坂で芸者をしていた頃(ころ)、「赤坂をどり」が年に1回開かれていた。京都祇園の「都をどり」、東京・新橋の「東をどり」のような晴れ舞台。会場は、東京・東銀座の歌舞伎座だった。

 私も上京当初から出演しましたが、1、2年目は、その他大勢の群舞。3年目になると役に抜擢(ばってき)され、夜も眠れないほど嬉(うれ)しかったです。ご贔屓(ひいき)筋や花柳界の方々がお見えになります。お世話になっている先生にも来てもらいました。

 ところが、晴れ舞台の場である事件が起こります。その日、先生は別の女性を伴って来たのです。私は焼きもちをやき、先生に手をあげてしまいました。芸者としてはあるまじき行為。でももはや後の祭りです。結果的には、それがお別れするきっかけになりました。

 赤坂での生活も4年目に入った頃、札幌に帰省しました。偶然にも、一つの出会いが待ち受けていました。学生時代の初恋の相手との再会です。寿司(すし)屋を営む家の跡取り息子。「この世界のことを何も知らない女性より、わかってくれる人と結婚したい」と考えていたようで、私に結婚を申し込んできたのです。

 「考えとくわ」とだけ答えて、また赤坂へ。先生との一件もあったので心は揺れました。少し前には、あるお料理屋さんの女将さんから「旦那(だんな)さんを紹介したい」と言われてお断りした経緯も。いろいろなことがわずらわしくなり、なんとなく逃げ出したい気分になっていた時期でした。悩んだ末、先生に「お嫁に行きます」と言うと、「そうか、仕方ないな」とあっさり言われました。私も踏ん切りがつき、芸者を辞めて札幌で結婚する決意をしました。

 二世家元・西川鯉三郎主宰の会。新橋演舞場で踏んだ初めての独り舞台「櫓のお七」を最後に、澤田は東京を去った。

 札幌に戻ると、初恋の相手のもとに嫁ぎました。1969年の春。25歳でした。「澤田」の養女でしたから、本来ならば置屋を継ぐ立場。しかし、「澤田」には芸者衆はおらず、途中で母自身が現役を退きましたので、赤坂時代は仕送りをしていました。母にある程度のお礼金を残し、結婚費用は自分で用意しました。それが「養女」としての礼儀であり、務めであると心得ていましたから。

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