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料亭「さわ田」女将 澤田 啓子さん<8> (2005年2月8日)「寿司屋の嫁」奮闘4年…2子連れ離縁
戦後、親兄弟を助けるため年季奉公で置屋に入る人は珍しくなかった。5年、10年の年季が明けると、1年間のお礼奉公を終えて自由の身に。しかし、それからは自前の芸者として続けるか、引退するか、選択を迫られることになる。
昭和40年代半ばには、料亭も往時の半数に。私は花柳界から身を引き、寿司(すし)屋を手伝いました。お店の裏手の物置を改造した部屋に住み込み、朝から晩まで働きづめ。おなかが大きくなっても、朝はご飯を炊くかまどの火おこし、お店では接客、洗い物、板前さんや若い衆の食事の支度と、目まぐるしく働きました。 義理の母、姉、弟と、主人の家族も一緒に店を切り盛りしていたので、嫁の立場として大変な思いもしました。ご飯の順番は私が最後。お味噌(みそ)汁さえほとんど残っていない時もありました。残ったおつゆをかき集めてご飯の上にかけるだけ。お釜の底にこげついた部分を洗って水をきり、ふかして食べるのが常でした。 華やかな世界にいた人に、寿司屋の嫁が務まるか。そんな声を覆そうと必死でした。2人の子供が唯一の心の支え。ただ、その時の経験は、私の人生に役立ってます。商売の裏方が何たるか、従業員を使うにはどうしたらいいか、義母から教わったからです。つらいこともありましたが、勉強をさせてもらったことは今も感謝しています。 4年ほどで結婚は破たん。主人の浮気です。3歳と2歳の息子を連れて家を出ました。親権についてもめました。双方が子供を1人ずつと言ってきたのです。どうしても2人を引き離せません。幼いころ、実の兄弟がいながら離れて育った経験が、絶対に首を縦には振らせなかったのです。精神不安定になり、そのことを知った主人が折れ、私が2人とも引き取るという形で収まりました。 また赤坂で芸者をと考えました。実母が再婚し、東京で暮らしており、子供を見てもらおうと考えたのです。でも、先立つものがない。結局、札幌に戻るしか道はありませんでした。
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