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優佳良織織元 木内 綾さん<13> (2005年12月16日)

バブル崩壊、工芸村も岐路に

写真:写真説明
経営悪化の要因となった「雪の美術館」
 優佳良織工芸館、国際染織美術館に次いで、1991年(平成3年)に雪の美術館が開館。3館を総称して北海道伝統美術工芸村となった。

 雪の美術館は、北大低温科学研究所の小林禎作先生との交流がきっかけでした。小林先生は中谷宇吉郎博士の愛(まな)弟子で、旭岳のふもとで研究を続けていましたが、「優佳良織を見ると心が安まる」と言って、山を下りると当時の民芸館を訪ねてくれました。

 小林先生がいつも話していたのは、「旭川の雪の結晶は世界でも一番美しいのに、誰も自覚していない」ということでした。何度も聞かされているうちに、先生は雪の資料館のようなものを造りたいのだなと分かりました。でも工芸館と染織美術館を建てて、まだ北海道工芸館のことも頭に残っていましたから、先生の気持ちは察しても手がける余裕はありませんでした。

 雪の美術館が完成したのは、小林先生が亡くなられて3年後でした。先生の夢を実現したいという思いと同時に、本や資料を読んで雪の結晶の美しさに惹(ひ)かれていきました。長男の和博館長も興味を持ち始めて、職員と勉強会を開き、プレハブ小屋を建てて雪の結晶を作る実験をしたりして、引き込まれていきました。

 しかし、開館直後にバブルが崩壊。雪の美術館に投じた45億円の建設費が負担となって経営が行き詰まり、昨年2月、工芸村は競売にかけられる事態になった。当時の経緯を和博(59)はこう話す。

 「バブルの崩壊で観光客が激減し、深川と旭川・鷹栖間に高速道路も完成して工芸村を素通りするツアーが増え、経営が悪化しました。金融団は北海道の貴重な観光資源として工芸村の存続を前提に再建策を協議してくれましたが、1行の賛同が得られず競売の申し立てということになりました。そんな状況でも織元は、『私たちが助かるために人を切るのは許せない』と言って、職員のリストラだけはさせませんでした」

 競売は今年2月、存続支援の声を背景に設立した新会社が落札し、工芸村は再スタートを切った。

 旭川の美しい雪を残すために、いいものを造りたいと思いました。借りたお金は一生懸命働いて、細く長く返していけばいいと。甘かったと言われれば、返す言葉はありませんが……。でも、みんなが心を一つにして希望を持てば、船は沈まないという信念はありました。

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