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(3)バドミントン 坂本修一選手

相棒と妻へ勝利贈る

パワーを生かしたショットが持ち味の坂本修一選手

 「もう少し、自分と一緒にやりませんか」

 2年前の2006年春、トマス杯に備えた合宿中の都内の宿舎で、筑波大の後輩でペアを組む池田信太郎選手(27)からの電話がなければ、五輪出場はなかったかもしれない。

 当時、妻の恵里さん(27)は、長女の愛依ちゃん(2)の出産を間近に控えていた。自身も海外を転戦する日々に疲れを感じていた。石岡市内の小学校に通っていた時に、近所の人に誘われて始めたバドミントン。20年近い競技生活で、前年には全日本総合選手権で優勝して念願の日本一を手にし、ある種の達成感もあった。「妻や生まれてくる子供の近くにいたい」という気持ちが相方に伝わっていた。

 大学時代に一度だけペアを組んだことはあったが、本格的に池田選手と組んだのは2005年ごろ、池田選手はカバーリングに安定感があり、「パワーを生かして一か八かのショットを打つ」坂本選手とのコンビは、同年のデンマークオープンで3位になるなど、世界で結果を出しつつあった。

 合宿所から自宅の妻に電話を入れてみた。妻は「海外に行って、頑張ってきて」と背中を押してくれ、競技を続けようと決めた。結果を残し、妻にいい報告がしたい。ぼんやりとしていた北京五輪の舞台が視界に入ってきた。「途中であきらめることはできない」。家族への思いを闘志に変えた。

 2007年の五輪代表選考レースでは当初、苦戦が続いたが、8月にクアラルンプールで行われた世界選手権で、当時世界ランキング2位の地元ペアを破って、日本選手初の銅メダルを獲得するなど徐々に調子を上げ、初の五輪代表の座を手にした。

 「あのとき、信太郎に『続けよう』と言ってもらったことが、今の自分につながっている。感謝しています」。コート上の相棒に引っ張られ、妻が後押ししてくれた五輪への道。自分自身にも、相棒にも、大会期間中に誕生日を迎える妻にとっても勝利が最高のプレゼントとなる。

◆プロフィール 1979年6月14日生まれ。石岡市出身。1メートル76、70キロ。同市立三村小3年時、恋南スポーツ少年団でバドミントンを始め、常総学院時代には全国高校総体のダブルスで優勝。2005、06年の全日本総合選手権ダブルス優勝。日本ユニシス所属。つくば市在住。

◆応援メッセージ 小学生時代の坂本選手を指導した恋南スポーツ少年団コーチの大橋茂さん(58)「気の優しい少年で、五輪に出られるような選手になるとは思わなかった。努力したんだろうね。五輪を十二分に楽しんでほしい。そして、見る人に感動を与える試合をしてくれればなおいい」

2008年7月31日  読売新聞)
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