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(49)西洋野菜 ケチャップ製造の先駆けアスパラ、セロリ、キャベツ、レタス……。いまではおなじみの西洋野菜も横浜から全国に広がった。野菜の栽培はやがて食品加工業へと発展し、その一つトマトケチャップは日本で最初に、横浜の子安で作られた可能性が高い。 幕末の駐日イギリス公使オールコックは、その著書「大君の都」の中で、横浜での最初の西洋野菜栽培について書き留めている。 「私は、日本のこの地方(横浜近郊)に良質のレタス、エンダイブ、パセリ、数種類のキャベツとともに、カリフラワー、芽キャベツ、キクイモを導入することに成功した。横浜のロウレイロ氏は、私がイギリスから入手した若干の種から、野菜ばかりの大きな菜園を作り上げた」 菜園を作ったのは、イギリス人のエドワード・ロウレイロと考えられる。その後は外国人のホテル経営者などが、宿泊客のために敷地の裏庭や山手地区で野菜栽培を始めた。 こうした西洋野菜の栽培は、根岸、磯子、子安など近隣の農村に急速に広がっていった。子安は神奈川宿の隣村で東海道に面しており、開港に伴う新しい人、もの、情報が行き交う場所だった。 「横浜市史稿(産業編)」によれば、1866年(慶応2年)ごろ、子安村の堤春吉が、外国船に食料などを納めていた倉田政吉からアメリカの種を譲り受けたのが、子安での西洋野菜栽培の始まりという。春吉はセロリ、カリフラワー、ビート、ラディッシュ、玉ネギなどの種を手に入れ、近所の農家に栽培を勧めた。 子安は、その海浜近くの砂質土壌がセロリ、アスパラガス、ストロベリー、トマトなどの作物に適していた。また二大消費地の東京と横浜の中間に位置して出荷が容易だったことから、西洋野菜栽培が盛んになった。 栽培農家の一人、清水与助は、さらに野菜の加工業を始める。トマトケチャップ製造会社「清水屋」である。与助は初め、少し傷んだトマトからソースを作ってみたと言われるから、少々「難あり」で出荷できないトマトや、価格が下落した場合の有効利用として考えたのだろう。作り方は、横浜の外国人スポーツクラブ「横浜アマチュア・アスレチック協会」の料理人、細貝音八から手ほどきを受けた。 「横浜社会辞彙(じい)」(1917年刊)によれば、清水屋の創業は1896年(明治29年)8月で、これは国産トマトケチャップ第1号とされているカゴメより早い。1913年(大正2年)に開かれた勧業共進会では銅賞を受賞し、宮内庁御用達にもなった。 しかし、次第に子安付近の開発が進んで畑は工業用地となっていき、昭和初年、清水屋も写真館へと転業した。 ケチャップ誕生の歴史からは、新時代の動きに敏感に反応し、西洋野菜の栽培、ケチャップ製造に挑戦する開港場近郊に生きた人々の姿が伝わってくる。(横浜開港資料館・伊藤泉美)
◆再現と継続 「消費地の近く」今も利点 「横浜初めて物語」「復刻版」――。こんなキャッチフレーズのトマトケチャップが横浜市内の百貨店などで販売されている。国内で初めて製造された可能性のある「清水屋ケチャップ」が昨秋、再現された。 100年前の味を今によみがえらせたのは、トマトソース製造などの「インターフード」(横浜市中区)の社長丸山和俊(48)。ケチャップの歴史を調べていた丸山が清水与助のことを知り、復刻を思い立った。 ケチャップ作りを手伝った清水与助の孫から話を聞き出し、かすかな記憶を頼りに、香辛料を探しに台湾まで足を運んだ。当時の簡単なレシピを基に試作を繰り返した。 1年で販売できるようになったケチャップは「最高の味になった」と丸山は言う。確かに、ケチャップだけでもいくらでも食べられるおいしさ。 ただ、丸山はもう次の夢に思いをはせている。今のケチャップの原料はアメリカ産のトマト。これを横浜産トマトで作りたいと考えている。 横浜で作られているトマトは生食用ばかりで、ケチャップに使う加工用はほとんどない。この夢に協力してくれるトマト農家を横浜市内で募っているところだ。 さらにこのケチャップを使ったゼリー、ケーキ、クッキーなどを開発するアイデアもあるという丸山はこう話す。 「トマトなんて見たこともなかった日本人が栽培に乗り出し、ケチャップを製造した。単に昔のケチャップを復刻するだけでなく、そのチャレンジ精神を受け継ぎたいと思っている」 ◇ 横浜は意外にも農業が盛んだ。 都市化の影響で年々減っているとはいえ、農地が市域面積の10%近くを占める。小松菜、ホウレンソウ、カリフラワー、キャベツは、全国の市町村でも生産量はトップ10に入る。消費地が近いという利点は今も昔も変わらず、軟弱野菜と呼ばれ、鮮度が落ちやすい野菜を多く生産している。 農地もまだ多く残る都筑区で冬空の下、小松菜を収穫していたのは、佐藤伸一(34)。横浜市の「チャレンジファーマー制度」を利用して昨年4月、農業の道に飛び込んだ。 農業以外の職業から農業を目指す人を支援する制度で、2年間の研修を行い、農地もあっせんする。佐藤はその1期生だ。 農業へのあこがれから会社を辞め、農業大学校などで就農に向けた準備をしていた時にこの制度が創設された。「農地まであっせんしてくれる画期的な制度だ」と飛びついた。 川崎市の実家から車で40分かけて畑に通いながら、昨夏はキュウリ、ナスを栽培した。 「予想以上に収入も少ないし苦労ばかり。食べていけるだけの収入を得ることが今の目標」という。それでも佐藤は「その後にはエコファーマーを目指したい」と目を輝かせる。(敬称略、松本英一郎) (2008年1月13日 読売新聞)
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