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1)砂浜再生(2005/4/1)

記憶あるうちに

写真:写真説明
「昔は横浜にも砂浜はあったんだ」と語る飯田繁男さん(横浜市中区新山下で)
 満月に浮かび上がった長者ヶ崎の砂浜。打ち寄せるさざ波の音が心地よい。月明かりの闇の中で砂浜に立つと、なぜか落ち着く。

 横浜市内から葉山町のこの海岸まで、月1回、仲間たちとオートバイで満月を見に来るツーリングを始めて20年近くたつ。だが、この日は体調が悪いせいもあって、「今後は行き先を近場に変えようか」と、ふと弱気になった。

 「その時なんだよ。『横浜』って言うくせに、横浜には砂浜がないじゃないかって気付いたのは」

 3年前の5月の夜から、オートバイクラブ「ケンタウロス」族長の飯田繁男さん(62)(横浜市中区本牧元町)の、ハマに砂浜を取り戻す活動が始まった。

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 飯田さんが小、中学生だった1950年代、横浜市の磯子や本牧などには遠浅の海が広がっていた。今でこそコンクリート護岸に囲まれているが、当時はいくつもの白い砂浜があった。夏の間、磯子の親類宅に遊びに行っては、透き通った海で泳ぎ、潮の引いた砂浜でアサリをとった。海は、キラキラとまぶしかった。

 22歳でオートバイに乗り始めてからは、海沿いの道を好んで走った。「オートバイがさびるのは嫌なんだけど、不思議とすがすがしい気持ちになる。生命が生まれた『母なる海』だからかな」。愛車に「後で洗ってやるからな」と言い聞かせ、潮風の中を走った。

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 みんながホッとできる砂浜をつくりたい――。その思いを実現するため、すぐ行動を開始した。まず、仲間と団体を結成。海から横浜港を眺め、砂浜復活の候補地を探るため視察クルーズを開催したり、国土交通省から講師を招き、砂浜に関する基礎知識を学ぶ勉強会を開いたりした。

 活動を知った人たちが次々と集まり、2004年6月に、NPO「ハマには浜を!」を発足させた。

 以前から知り合いだった作家の山崎洋子さんを理事長に迎え、中華街近くのジャズ喫茶に通う女子高生のころから知っている女優の余貴美子さんらに役員を依頼した。「みんな、『砂浜を取り戻したい』と思っていたんだ。おれは火打ち石を打っただけ。そしたら、みんなが燃えてくれた。時代が要求していたことでもあるんだ」

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 昨年11月に開いた写真展では、砂浜があったころの写真パネルの前でじっと動かないお年寄りがいた。胸が熱くなった。「みんなの心に砂浜の記憶があるうちに実現したい」

 砂浜再生の目標は横浜開港150年の2009年。理想は、行政や企業、市民が垣根を取り去り、みんなが少しずつ砂を持ち寄るような一体感のある運動だ。「一粒一粒の砂が集まって砂浜になる。資金も必要だけど、みんなの強い思いさえあれば、必ずできるさ」

      

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