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補欠二塁手 優勝投手に<1>1951年の4月、250人の仲間と共に、母の勧める土佐中学に入学し、早速野球部に入部した。教育ママのはしりであった母は、長男である私が野球部に入るのには反対であった。小学4年で野球に出会って以来、明けても暮れても野球の毎日である我が子の将来を心配したからである。 野球部には入ったが、ほとんど野球をやらせてもらえない。キャッチボール、トスバッティング、それに守備の控えの毎日である。打撃練習をしている打球を捕る正選手の後ろで、打者が打つたびにその打球の方向にスタートをするだけで、球には触れさせてもらえない。もちろん打撃練習はさせてもらえない。 日が暮れるまで、グラウンドに出て、面白くもない練習を続ける毎日である。土曜、日曜も「練習、練習」であった。何人かの友人が部から去っていったのは当然である。野球好きの私も何度そうしようと思ったかしれない。野球をやらせてもらえないのである。 しかし、それを実行することはなかった。親の反対を押し切ってはじめた部活動である。始めた以上、途中で挫折するのは情けない。意地でも最後までやめないでいようと、毎日の辛い練習に耐えていた。 3年になっても、その状況に変化はなかった。二塁手の補欠で試合には出してもらえない。試合前のシートノックは守らせてもらえるまでにはなったが、打撃練習はほとんどさせてもらえない。弱肩、鈍足、非力では無理もない。春の大会、チームは5年連続優勝した。当時の土佐中野球部は無敵であった。この大会で1インニングだけ守備につかせてもらった。 春の大会後に、突然私に転機が訪れた。二塁手の2番手から投手の2番手への転向である。投手であれば、2番手であっても、試合には出してもらえる。試合に出ると、不思議なことに点を取られない。三振は取れないが、四球さえ出さなければ、凡打に打ち取れたのである。 肝心な夏の大会直前にエースが怪我をし、2番手投手の私がほとんど全試合を投げる羽目になった。ところが、1点も取られずに優勝し、土佐中は4連覇を達成した。投手になって投球練習もほとんどしていないのに、このような成績を残せたのは何故かを考えたことはなかった。私にとって必要を感じなかったからである。 ところが、高知工科大学で物理が専門の野尻洋一教授との話の中で、彼からその理由が必ずあるはずだとの指摘を受けた。散々議論したあげく、その理由がわかったのである。二塁手の補欠での練習にあったのである。 (高知工科大理事長 岡村甫) ◆ ◆ 岡村甫(おかむら・はじめ) 高知工科大理事長、東大名誉教授。 1938年高知市生まれ。土佐中、高を経て東大に進学。66年東大大学院工学系研究科土木工学専攻博士課程修了(工学博士)。東大工学部長、高知工科大学長などを経て、2009年から同大学理事長。 東京六大学リーグで、投手として東大史上最多の17勝を挙げる。東大で助監督、監督も務める。研究では社会基盤学、コンクリート工学が専門で、自己充てんコンクリートを世界で初めて開発。施工段階で振動締め固めを一切行わなくても最高品質を達成する高性能材料を実用化した。 (2009年5月23日 読売新聞)
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