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次女誕生、生活再建誓う5月1日午後4時48分、石巻赤十字病院(石巻市)で3478グラムの赤ちゃんの元気な泣き声が響いた。 「美しく花が咲いていた南三陸の町を、いつか見せてあげたい」 だから、次女の名前は「美咲」。後藤一美さん(40)と妻の美由紀さん(32)が話し合って命名した。南三陸町の避難所の志津川小で1か月半、大きなお腹を抱えながら生活した美由紀さんは「栄養も十分取れなかったのに、無事に生まれてくれて……」と、ほっとした表情を浮かべた。 一美さんが切り盛りする居酒屋「しお彩」は、同町中心部の商店街にあった。近くの志津川港で取れた新鮮なイクラやウニを使った丼が評判で、昼食時は行列ができた。隣は鮮魚店、その先は蒲鉾(かまぼこ)屋、飲食店……。ささやかだが、たしかな暮らしがあった。 ◎ 3月11日、昼食の混雑が終わって一息ついた店内で大きな揺れに襲われた。町の防災無線が繰り返し津波の到来を告げていた。1キロ離れた漁港近くの自宅まで車で戻り、美由紀さんを乗せた後、高台にある志津川小で長女の華紗(かずさ)さん(7)と合流したところで、津波が町をのみ込んだ。長男の吏稀(りき)君(4)を隣町の幼児園に迎えに行けたのは2日後だった。 店も自宅も流された。長年愛用した包丁も、虎の巻のレシピも――。しばらく何もする気にならなかった。常連客から「しお彩は無事?」と口々に聞かれるたび、胸がうずいた。 ◎ 4月末、赤いスプレーを持って店の跡地に立った。 「がんばろう南三陸 南三陸うまいものあり」 わずかに残った壁に大きく殴り書きした。ここに店を再建してみせる。そんな決意表明だった。町が呼びかけた内陸への集団避難には応じなかった。 震災後、津波の浸水区域には建築制限がある。そこで、まずは移動販売から始めようと、軽トラックを購入する準備をしている。「町には食料品店がほとんどない。買い物の不便な地区を回ったら、みんな助かると思う」 5人になった家族は今、避難所として開放された観光ホテルで暮らす。水道が復旧しないため、飲み水はペットボトル。家族と一緒にいる時間が増え、子供たちは「お父さん、お父さん」と寄ってくる。 夢だったらいいのに、と思う時もある。家族一人ひとりの顔を見つめ、考え直す。 「南三陸で再出発する。町のためにも、家族のためにも」(小野健太郎) (2011年6月3日 読売新聞)
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