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<5>川上犬 村の誇り狩猟の相棒、純血種残す千曲川の源流があり、周囲を深い山に囲まれた川上村。役場の隣にある森林組合の犬舎に入ると、ぬいぐるみのような子犬が、しっぽを振って近寄ってくる。 国内でも数少ない純血種の日本犬として、県天然記念物に指定されている「川上犬」。小型で筋肉質、光沢のある毛が密生し、厳しい寒さに耐えられる。 川上村は、今でこそレタスなどの高原野菜で有名だが、昔はコメが作れず、狩猟が主な産業だった。江戸時代には、コメの代わりにカモシカの毛皮を年貢として納めていたという。 動きの素早いカモシカを切り立った断崖で追いつめる。機敏で脚力のある猟犬は、村人の生活に欠かせない“相棒”だった。 それが、大正、昭和と時が進むにつれ、林業が主産業になり、狩猟を営む人は少なくなった。鉄道の開通で外部との交流が増え、川上犬の雑種化も進んだ。 川上犬保存会会長で、川上村長の藤原忠彦さん(70)の父、武重さんは大正時代、猟師から犬を買い、保存活動を始めた。順調に増えたが、太平洋戦争中、食糧難を理由に軍部が出した「撲殺令」により、川上犬は数頭を残して殺されてしまった。 武重さんが亡くなって3年後の1956年、村に川上犬は1頭も残っていなかった。その時、高校生だった藤原さんのもとに、信じがたい話が舞い込む。 「お父さんから犬を預かっている」。八ヶ岳で外との接触を断ち、木こりのような生活をおくる老人からの便りだった。街で買った食品を包んだ新聞に、川上犬が絶滅するという記事が載っているのを見て、連絡してくれたのだという。 戦時中、武重さんがひそかに老人に預けたつがいは、たくさんの子犬を産んでいた。そのうち2頭を村に連れて帰ろうとしたところ、川上犬の特徴である帰巣本能を発揮した2頭はトラックのガラスを突き破り、鼻を血だらけにして、八ヶ岳に戻ってしまった。 仕える主人は1人だけ。この2頭は、鎖を解かれると八ヶ岳に帰ってしまうため、一生つながれたままだった。保存会は2頭をもとに、村外に散っていた純血種を買い戻して交配し、少しずつ頭数を増やしていった。近親交配による問題も生じたが、頭数は回復。83年には、県の天然記念物に指定された。 県文化財保護審議会委員として、指定に尽力した東京学芸大名誉教授の市川健夫さん(81)は昭和20年代、川上村を訪れ、地理調査を行った。当時は、農閑期に川上犬と猟をしたことのある人もおり、雪の降る中、八ヶ岳から村周辺に移動するシカを狙った話を聞いたという。市川さんは「人びとの暮らしに欠かせなかった川上犬には、文化的な価値がある」と語る。 藤原さんは「村民の手だけで、一つの血を残したことは、何よりの誇り」と振り返る。現在、川上犬は村内外で300頭以上が飼育されており、愛好家の人気も高い。保存会は子犬を分けているが、常時50人以上が順番を待っている。 かつて猟犬として人間の生活を支えた川上犬。今ではペットとして、人びとを癒やしている。(中島健太郎) (2008年12月12日 読売新聞)
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