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<1>離山房(軽井沢町長倉)

子煩悩な父親の顔

 1977年8月下旬、軽井沢町の喫茶店、「離山房」の前に1台のハイヤーが止まった。降り立ったのは、ジョン・レノンと妻のオノ・ヨーコさん。夏も終わりかけた涼しい日のことだった。

 当時のジョンは、“ハウスハズバンド”として75年に生まれた息子ショーンさんの子育てに専念中。夏の間、ヨーコさんの別荘がある軽井沢町を訪れていたのだった。

 「オノさんはすぐに分かった。『じゃあ、あれがジョン・レノンかしら』と驚いた」と店主の槙野あさ子さん(81)は振り返る。

 静かな環境を気に入ったのか、翌日、ジョンはショーンさんを自転車に乗せて再び来店。3年間にわたる交流が始まった。

 麦わら帽子をかぶり、短パンにゴム草履の飾らない姿。槙野さんの見たジョンは、オーラをまとったロックスターというより、どこにでもいる子煩悩な父親だった。「いたずらをしてショーンがしかられると『ママは怖いねぇ』という風に涙をふいてあげていた。かわいくて仕方なかったのでしょうね」と笑う。

 来店から3年目の79年8月、槙野さんの希望を察したジョンが「カメラを持ってきて。写真を撮ろうよ」と夫・尚一さんに声をかけた。その日のジョンは、庭のカラマツでショーンさんの身長を測ったり、笑いあったりと心から幸せそうな様子だったという。「また、あした」と帰って行った後には、革ケース入りのライターが置き忘れられていた。

 「今度来た時に返そう」と思った槙野さん。だが、ジョンは翌日、急用で帰米。翌80年にアルバム「ダブル・ファンタジー」で音楽活動を再開したが、同年12月、凶弾に倒れ、再び来店することはなかった。

 その後、ライターは店内に飾られていたが、87年夏に来店したヨーコさんに返された。テラスでライターに火をつけたヨーコさんは、じっと炎を見つめ、目を潤ませたという。「誰にも煩わされなかった軽井沢の一時は、ジョンと家族にとって幸せな時間だったのでは」と槙野さん。

 ジョンの死から29年。ショーンさんが背比べをしたカラマツは、ジョンの思い出とともに、高く広く枝をのばしている。

2009年3月7日  読売新聞)
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