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<7>ここで100歳まで暮らそう
60 【東京都世田谷区→安曇野市穂高有明】 気がつくと、東京駅から長野新幹線に飛び乗っていた。佐久平駅で小海線に乗り換え、野辺山方面へ向かった。八ヶ岳のすそ野では、金色に染まったカラマツの葉が風に舞っていた。憲子さんに久しぶりに笑顔が戻ったのを見た健樹さんは、ホッと胸をなでおろした。 同居していた憲子さんの母親が亡くなった後、自宅で療養中の父親を夫妻で世話していた。ほとんど寝たきりの状態で、食事から下の世話まで、全く気の抜けない日々。憲子さんの心の疲れは限界に近かった。1996年11月、何度か来たことのある信州に自然と足が向いた。 介護生活は約2年半に及んだ。父親が亡くなってまもなく、今度は憲子さんが体調を崩した。積み重なったストレスに更年期障害が加わったためだ。一日中部屋に閉じこもる日も少なくなかった。病院に行くと大量の薬が処方された。 東京生まれの憲子さんと、福島県郡山市出身の健樹さん。誕生日が1日違いの2人は、青山学院大の商業英語研究部で知り合った。健樹さんは卒業後、国際貨物運送会社に、憲子さんは商社に就職した。約3年の交際を経て、2人は25歳で結婚した。 歌舞伎や宝塚歌劇など、10代のころから芝居好きだった憲子さんは、30代半ばから劇団「四季」の事務担当になった。映画、演劇、ミュージカル……と、多様な文化を楽しめる東京に憲子さんは満足していた。 そんな憲子さんが心の葛藤(かっとう)を体験するたび、「自然の豊かなところで暮らしたいという気持ちが強くなってきた」という。 夫妻が学生時代から過ごした「東京」も大きく変わっていた。 自宅から15分の下北沢。ジャージー姿で夕食の買い物が出来たのに、いつの間にか、若者向けファッションの街になっていた。 繁華街の交差点で信号待ちをしていて、ふと周囲を見渡すと、自分たち以外は、20歳代ぐらいまでの若者しかいないことにも気づいた。 「もう、僕らの住む街じゃなくなったね」。夫妻の思いが一致し、2005年春、信州に移ってきた。 北アルプスのふもと、なだらかな田園地帯に点在する一戸建てが夫妻の住みかだ。西向きに大きな窓を備え、リビングルームから山々を一望できる。 もともと自然食品に興味を持っていた憲子さんは、病気と闘う中で成分無調整の豆乳と出会い、少しずつ元気を取り戻した。健樹さんが早期退職した後、夫妻で、豆乳や業務用の豆腐製造機をインターネットを使って販売する小さな会社を経営している。 手作りの豆腐を食べ、りんとした空気の中で散歩する毎日。「ここで100歳まで一緒に暮らそうよ」。健樹さんが冗談交じりに言うと、満面の笑みで「いいわよ」と答える憲子さん。 “山”を乗り越えてきた憲子さんの思いが会社名に込められている。「いつでも夢を」。心の中に流れている、橋幸夫さんと吉永小百合さんのヒット曲からつけた。(柳沢譲) (おわり)
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