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第1部〈4〉扇に託す「東中南北」(5月19日)道州制なら分裂危機
扇子作りを企画した「はぐるま会」の会長、宇津江(うつえ)万司女(ましめ)さん(70)は「販売開始まで、売れなかったらどうしようと考えていた。こんなに反響があるとは」と驚く。 扇子にはあえて「天竜村50周年」の文字を入れず、無報酬で扇型の原紙に筆を振るった大平巌(おおだいらいわお)村長は改めて、「(人気の)一番は、信濃の国そのものの魅力」と考えている。 # # きっかけは、地元小中学校のPTA仲間で、子育てを終えて活動する宇津江さんたちの「天竜村を知ってもらいたい」という気持ちだった。 天竜川の県内最下流に位置する天竜村は、ダムの建設の作業員らでにぎわい、「信州の熱海」ともいわれた旧平岡村と、天竜川西岸にある旧神原村が1956年に合併してできた。だが、人口は現在、合併時の3分の1にあたる2000人を切った上、65歳以上の高齢者が人口の半分以上という典型的な過疎の村となってしまった。
だが、もう一つ、宇津江さんたち村民が、信濃の国にこだわる理由がある。 # # 2006年2月に出された国の地方制度調査会の答申で、具体化してきた「道州制」が導入されれば、長野県が消えてしまうのではないかという恐れからだ。 答申で示された3案は、いずれも都道府県単位の組み合わせで全国を9、11、13ブロックに分けていた。長野県については、北関東や北越のブロックとする案はあったが、愛知県や岐阜県、静岡県など中京・東海圏と同じブロックにする案はなく、地理的に近く、経済的な結び付きも強い南信地方の反発は小さくなかった。 昨年9月に就任した村井知事も、こうした意見を踏まえて「現にある都道府県で道州を作ろうというのは意味のある作業に思えない。基礎自治体(市町村)の構成で作って行くしかない」と語り、道州制導入では、長野県の分裂もやむを得ないとのスタンスを示している。 # # 道州制論議が盛り上がるほど、宇都江さんは「信濃の国そのものが、過去の歌になってしまうかも知れない。残しておかなければ」との思いを強める。大平村長も「道州制は住民要望ではなく、国から出た議論。信濃の国がなくなるとしたら寂しい」と語る。 「長野県は一つ」。村民の思いが込められた扇子は、JR平岡駅に併設された村の観光施設「龍泉閣」などで販売されている。
飯田下伊那地方は、車で中央道を使えば、飯田インターチェンジから名古屋市中心部までわずか1時間半。道州制導入に向け、愛知県を中心とした「中部州」入りに向けた“既成事実”作りが、公然化しつつある。 飯田市は今年度から、愛知、岐阜、三重、静岡の4県の市でつくる「東海市長会」に、オブザーバー参加することを決めた。同市の牧野光朗市長は「地域の可能性を引き出すためには、中京、東海圏と一緒(の州)になることが必要」と説明している。 また、愛知、岐阜の両県と境を接し、以前には、愛知県豊田市との越県合併を模索したこともある根羽村でも、小木曽亮弌村長が「道州制導入では、県が三つぐらいに割れてもいいのではないか」と発言している。 天竜村の住民も「道州制が決まれば、私たち南信地方は名古屋に行くと思う。北関東や北陸と一緒になるなんて考えられないから」と心の内を語る。 こうした雰囲気を示す象徴的な風景は、今春の統一地方選で見られた。 県議選告示の4日前となった3月26日夜、飯田市の鼎文化会館で、同選挙区(定数3)から立候補を予定している5人の公開討論会が開かれた。それぞれが主張を述べた後、司会者の質問に対し、それぞれ「○」か「×」のパネルを上げて、政治姿勢を明らかにするコーナーがあった。 この時、出された質問の一つが、「道州制が導入されたら、飯田下伊那地方は、県を割っても中京圏へ行くべきか」。この質問に、5人は全員、すぐに「○」を掲げた。会場にいた約220人の有権者からも、疑問の声は上がらなかった。
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