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<1>「世界遺産」登録目指すNPO法人設立、魅力を発信一家5人で暮らしたアパートの9階。郵便受けが玄関に転がっていた。中学時代に手作りし、ペンで書いた家族みんなの名前が、はっきりと見てとれた。1999年、同窓会で25年ぶりに上陸した軍艦島。島にいたときは気にしたことのなかった波音が、やけに大きく響いていた。 長与町の坂本道徳さん(54)は、小学6年から高校3年までを島で過ごした。中学まで通った7階建ての真っ白な校舎が誇らしかった。2間しかない自宅では、父親がベランダに囲いをし、畳を1枚敷いて自室を作ってくれた。 閉山後の1974年3月、下宿先の長崎市から帰省した際、桟橋でまさに引っ越そうとする家族と遭遇、そのまま一緒に島を出た。 「島を産廃処分場にするのでは」。うわさを耳にしたのは、2001年に島が旧高島町に譲渡された直後だった。同窓会以来、インターネットで知り合った軍艦島に興味を持つ若者らに高層建物群などの価値を教えてもらい、改めて島の魅力に気付いたころだった。 古里はどうなるのか。不安が募る中、一つの言葉が浮かんだ。「世界遺産」。古里の未来をこのキーワードに懸けてみることにした。 「夢を見させてくれ」。共働きの妻、裕美子さん(53)に頼み込み、会社を辞めた。仕事で精通していたパソコンの教室を開きながら、保存活動にのめり込んだ。島出身者に話を聞き、写真を借りて歴史をひもといた。産業遺産研究者にも助言を求め、ほかの産炭地の取り組みを調べた。 1年後、長与町で初めて開いた軍艦島写真展。1週間で約150人が訪れた。そのうち半数は島関係者。80歳ぐらいの女性が懐かしそうに見入っていた。03年、NPO法人軍艦島を世界遺産にする会を設立、理事長に就いた。 写真展やシンポジウムの準備、島周辺を回遊する船のガイド。一方で、子ども2人の教育費、自宅のローンもかさむ。「明日食べる米、どうしよう」と追い詰められた日もあった。「島で生まれてないのに、島を語らないで」。知人にきつい一言をぶつけられたこともある。 それでも、出身者から島の生活を収めた写真が届けられるようになるなど、活動は着実に浸透した。散り散りになった人のきずなが、再び結ばれていく気がした。 昨年7月、「平泉の文化遺産」(岩手県)が日本の推薦地で初めて、世界遺産登録を延期された。「次で国内候補地にならなければ、もう糸が切れる」と弱気になった。朗報はその約2か月後に届いた。国内候補地認定――。これからも道が続く安堵(あんど)感でいっぱいだった。 石炭が枯渇し、もぬけの殻になった島の姿に、「資源を食い尽くす人類への警鐘」を感じる。その無言のメッセージこそが「世界遺産」だと思う。登録への階段は上り始めたばかり。「多くの人に島の価値を伝えること、それが島から与えられた僕の使命」。役割の重さをかみしめている。 ◇ (2009年1月3日 読売新聞)
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