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<4>強く美しい女性 崇拝

 真っ暗な舞台の中央で、ライトを浴びた男が黙って針をつまみ、目の高さまで持ち上げた。瞬間、針先を眼球に向け、真っすぐ突き刺す。

 谷崎潤一郎が1933年に発表した「春琴抄」をモチーフにした演劇「春琴」(サイモン・マクバーニー演出)の山場だ。昨年末まで3年間、東京やロンドン、パリなどで公演。谷崎独特の美と官能の世界を描いた。

 容姿端麗で驕慢(きょうまん)、盲目にして音曲の天才である春琴と、彼女を崇拝し、献身する奉公人・佐助。春琴が何者かに顔に熱湯をかけられ、醜くなったことを悔い、佐助は自ら失明する。

 物語の舞台は、薬問屋の商家が並んだ幕末から明治の大阪・道修町。今はすっかりオフィス街に変わり、製薬会社が点在する通りを、谷崎に詳しい明里千章(あかりちあき)・千里金蘭大教授(58)(日本近代文学)と歩いた。

 当時の姿が残る国の重要文化財・旧小西家住宅に足を向ける。堺筋に面し、2階建ての瓦屋根が高層ビルを背に存在感を示す。「奥行きが深く、見た目より大きい。春琴の家もこんな感じだったのでは」と、明里教授は言う。

ビル群の中に立つ瓦屋根の旧小西家住宅は一際目を引く。春琴もこのように立派な薬問屋に生まれ育った(大阪市中央区で)

 靱(うつぼ)公園。春琴が毎日、佐助に手を引かれて音曲の稽古に通った師匠の家はこの辺りだろうか。明里教授に「春琴のように目を閉じてみて」と促された。

 そこかしこから近づく足音、車のエンジン音が、やけに大きく聞こえる。どこからか、嬌声(きょうせい)が耳に飛び込んでくる。

 怖い。

 春琴も、闇のなかで、荷馬車や人波におびえただろう。

「春琴の心を慰めたのは三味線だけだったのでは」と語る麻生さん(東京都内で)

 「そうなんです。子どもの頃から、春琴は佐助なしでは生きていけなかった。どちらが支配的かは明らかでしょう」と、明里教授は話す。

 圧倒的に強い春琴に尽くす佐助――という構図が揺らぐ。

 演劇「春琴」で、母親役で出演した女優で邦楽演奏家の麻生花帆さんも、同じ思いを持ったという。舞台稽古に合わせ、何度も小説を読み返すうちに、春琴が顔にやけどを負った後の叙述にはっとした。

 〈春琴の方は大分気が折れて来たのであったが佐助はそういう春琴を見るのが悲しかった〉〈どこまでも過去の驕慢な春琴を考えるそうでなければ今も彼がみているところの美貌の春琴が破壊される〉

 次第に弱っていく春琴を、佐助は拒絶し、昔のままでいるよう強要しているのだ。

 「最もそばにいる佐助にさえ、春琴はそのままの自分を受け入れてもらえなかった。一見、従属していたようで、春琴を驕慢に仕向け、操っていたのは佐助だったのではないか」。麻生さんは春琴の孤独を思った。

 佐助は失明した理由を春琴に、「御霊様(御霊神社)に朝夕拝んだ」と、うその説明をしている。

 「佐助が春琴のために自分で目を潰したと言えば、春琴は申し訳なく思い、立場が弱くなる。佐助に、弱い春琴は要らない。強く美しい女性に創り上げ、仕えることに悦楽を感じていたんですから」。明里教授は、佐助は谷崎自身、春琴は船場の大商家の御寮人(ごりょうにん)さんで、後に妻となる松子と読み解く。

 それを暗示する日本画が府立中之島図書館に眠る。北野恒富氏の「茶々殿」。春琴抄の前年に谷崎が高貴な女性を描いた「盲目物語」初版の口絵に使われた。モデルが松子だったという。

 表面上は女性崇拝。その実、献身することで支配し、愛欲を満たす――。それが谷崎なら、春琴と同じ孤独を、松子も感じていたのか。

 日本画の女性のあどけない表情が、心に突き刺さった。

(坊美生子)

 <メモ> 「茶々殿」(縦179センチ、横84.5センチ)は1921年に描かれた。府立中之島図書館に渡った経緯はわからない。毎年春の企画展で公開される。絵は普段、見ることはできないが、「盲目物語」初版本は閲覧できる。春琴の生家は道修町の薬問屋、後に佐助と同居した家は淀屋橋筋(御堂筋)、墓は下寺町の某寺など、谷崎は「春琴抄」で地名を多く用い、あたかも実在したかのように仕掛けている。

2011年5月3日  読売新聞)
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