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その5  うどんの街(2009年10月27日)

手に土地への愛着込め

「昔ながらの所沢の手打ちうどんを提供したい」と、うどんの生地をのす加藤さん(所沢市西所沢の「地蔵山」で)

 「手打うどん」――所沢市内の住宅街を歩いていると、あちこちで、こんなのれんや看板に出くわす。市観光協会作製のマップに掲載されているだけで、29店舗が市内各地に店を構える。

 所沢はかつて、水利に恵まれず、小麦やイモが多く作られてきた。この小麦を使った手打ちうどんが家庭でよく食べられ、今も盆や正月、結婚披露宴といった特別な日に振る舞う地域がある。

 やや茶色がかったコシの強いめんを、季節の野菜をさっとゆでた「かて」と一緒に、つけ汁につけて食べるのが所沢流だ。

 「目標は、昔、おやじが作ってくれたうどん」。そう言い切るのは、西所沢で「手打うどん 地蔵山」を営む加藤幸造さん(62)。元々の家業は着物の販売や手入れの仕事だが、9年前にうどん店を開いた。

 48歳のとき、大病を患い、リハビリに励んでいて、ふと、父や母が家で作った昔ながらのうどんが食べたくなった。試しに打ち、知り合いにも食べてもらったところ、好評で、店を開くことを決意。以来、数人のうどん店仲間で研究会を作り、互いに助言しあいながら、腕を磨いてきた。

 「うどんは正直で、ずるができない。塩水を多くして生地を緩くこねると、のすのは楽。でも、包丁に付いてしまい、切るのが大変になる」と語り、「本当の手打ちうどんを提供したい」と、日々、仕事に励む。

山崎昌弘さん
石井里子さん
山田裕通さん

 脱サラして同市久米で「あづまや」を約35年間営み、「お客様に育てられた」と話すのは、東京育ちの店主、山崎昌弘さん(65)。

 農業用資材を売り歩く営業マンだったが、妻の実家が所沢市内で玉売り専門のうどん店を営んでおり、そのうどん玉を使って店を開いた。

 開店当初からそばにも力を入れており、うどんとそばを同じつゆにしたところ、客からは「甘ったるくて、食べられない」とバッサリ。客に教えてもらった人気店を回り、味の工夫を重ねた。「うどんの基礎がなかったからこそ、何でも学んでこられた。地元の人をうならせたい」

 所沢のうどんでは、女性も負けてはいない。元気なねじり鉢巻き姿の店長、石井里子さん(63)と、姉町田一江さん(67)、妹榎本令子さん(59)の三姉妹が切り盛りするのは、東所沢の「手打うどん 里」。パートで小学校の給食作りに17年間、汗を流し、調理師免許を持っていた石井さんが、5年前に開いた。

 農家だった実家の母が打ってくれた、こしのあるうどんを目指しているという石井さんは、「『昔ながらの懐かしい味』と言ってもらえるとうれしい」とほほ笑む。

 こうした市内の手打ちうどん店とは一線を画し、県内を中心に関東一円で「山田うどん」チェーンを展開する山田食品産業も、発展の礎を、今も本社を置く所沢で築いた。

 会長の山田裕通さん(74)は、「所沢でうどんに適した小麦の生産が盛んだったので、昭和34年(1959年)、現在の本社所在地(同市上安松)に本格的な製粉工場を建てた」と語る。創業後は、製めん所、店舗も設け、一貫した生産・販売体制を整えていった。「今思えば若気の至り。大きな工場を建ててしまい、その償却を図ることに夢中だった」と振り返る。

 作り手たちのそれぞれの思いが練り込まれた、所沢のうどん。この地への愛着は、その中に今も受け継がれている。(終わり)

 (「所沢の巻」は福地一之が担当しました)

2009年10月27日  読売新聞)
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