■大宮宿の巻 その8 「大宮南銀座通り」
ふるさと“ナンギン”
JR大宮駅東口前の南側で線路と旧中山道に挟まれた仲町1丁目。線路沿いの通りと、その中間付近で分岐し、旧中山道に接する通りが〈大宮南銀座通り〉だ。だが一般に「ナンギン」と言えば、県内一の繁華街とされるこのあたり一帯を指す。
「小学校に上がるころまで、通りは商店街で周辺は住宅街でした」と山崎泰生さん(48)は懐かしむ。曽祖父と祖父は建築業、両親は料理店を営み、4代目の山崎さんはテナントビルなどを経営する。
線路沿いの通りは、富士山が見えたことから「見晴らし通り」と呼ばれていた。「南銀座通り」の名は、大宮市議を務めた山崎さんの父嘉一さん(1984年、58歳で死去)が地域の繁栄を願って昭和30年代に名付けたのだという。
「今、ここで人が住んでいるのは十数軒ほどです」。町内会「大宮区仲町一丁目仲和会」会長で、父の代からの青果店を妻宏子さん(66)と営む松本征男さん(67)。全体の世帯数は約300だが、ほとんどが飲食店や遊技場などテナント入居の商業者で、生活の実態はないという。高度成長期以後、駅に接したこの地域は瞬く間に繁華街へと変ぼうした。松本さんの店も一般客は消え、商売相手がすべて飲食店となって久しい。
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「安心感のある街を取り戻したい」――。同じ思いを共有する(左から)山崎泰生さん、高瀬多美子さん、松本征男さんはこれまでも、そしてこれからもこの街で過ごしてゆく |
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細い路地に店を構えるスナック「クラウン」。浮き沈みの激しいこの街で50年近い歴史を刻む。現オーナーは高瀬多美子さん(57)。創業者の先代は実母美也さん(81)で、客は多美子さんを「ママ」、美也さんを「大ママ」と呼ぶ。
「母の代には学生だったのに今は政治家となって通ってくれる人もいます」
20年、30年通う常連客はざら。開店以来、この店は多くの客に愛され、母娘は街の移ろいと共に客たちの人生を眺めてきた。
足の具合が思わしくなく、美也さんは4年ほど前から店に出なくなった。なじみ客からは今でも「出てこいよ」と電話が入るが、やんわりと断っている。「私も女なんですね。こんな姿を見られたくないんです」
90年代後半、地域には「エステ」と称する風俗店などが次々に開店した。県警の集中摘発で影を潜めたが、「ナンギン」に異なったイメージが付いた。商店会「南銀座親正会」は、東口商連会などと共に16台の街頭防犯カメラを設置し、19日から運用を始めた。
「訪れてくれる人々の安心感を取り戻したい。ここが私が生まれ育ったふるさとなんですから」。親正会の役員として街の浄化活動にも力を注ぐ山崎さんは、そう話した。