ワールドカップ 2002 再現23日間 「葛城北の丸」の日本代表

サッカー・ワールドカップ(W杯)でベスト16入りの健闘を見せた日本代表は、袋井市のリゾートホテル「葛城北の丸」で二十三日間を過ごした。緑の木々と厳重な警備に囲まれ、世間から隔離されたキャンプ中の暮らしぶりや選手たちの表情を、関係者の証言で再現してみる。
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ジュビロ磐田スタジアムで練習する日本代表の森島寛晃(右)、中田浩二(中央)ら(今月1日)
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キャンプ期間は、五月二十八日から六月十九日まで。選手二十三人はいずれも個室暮らしで、五人が和室、残りは洋室だった。朝食は午前八―九時。朝の練習は敷地内に特設されたミニサッカー場で。夕方からバスで移動し、ジュビロ磐田スタジアムで練習した。夕食の開始は午後八―九時で、その後は自由時間。
食事メニューの基本はバイキング形式で、毎食約三十種類が用意された。日本サッカー協会は刺激物や油物を控えるよう指導したが、カレーやギョーザ、焼き鳥なども出た。
食事の場所は、レストランとミーティングルーム(八十畳の座敷)。試合から帰った翌日は、プールサイドでバーベキューをし、流しそうめんなども出た。トルシエ監督は選手と一緒に食べることもあり、食事をしないこともあった。
ホテルの調理担当者と日本サッカー協会の栄養士は毎日メニューの打ち合わせをし、選手たちの体調や疲れ具合などを見ながら、微調整をした。試合の際は、栄養士が先乗りして宿泊先の料理人と打ち合わせた。
娯楽は、ビリヤード、卓球、サッカーゲーム。卓球台は一台しかなく、自然とダブルスで打ち合うようになった。宿舎の一階ロビーと二階の広間には衛星放送を見られるテレビがあり、各国の試合を観戦。露天風呂やサウナも使った。また、柳沢敦、鈴木隆行、西沢明訓の三選手の誕生日をケーキで祝った。
酒類は厳禁。床屋に行きたい選手もいたが、理容師が呼ばれることはなかった。コンビニにも行けず、選手たちは知り合いに頼んで本などの荷物を送ってもらっていた。日本サッカー協会の指示で、新聞は一般紙、スポーツ紙とも、読むことを禁止されていた。
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