活火山富士
第1章・火の山と生きる(7)遺産
「これが、わが家に古くから伝わる絵図です」
御殿場市山之尻、滝口文夫さん(65)が、白い箱から丁寧に取り出したB4サイズほどのうす茶色の紙。富士山が中腹から赤い火を噴き出し、黒い煙がふもとへ流れ下るなど、一七〇七年の宝永噴火の様子が描かれている。
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滝口さんの家に保存されている富士山宝永噴火の絵図。噴火当時の状況を今に伝える貴重な歴史資料だ
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宝永噴火の時代に名主をしていた滝口さんの祖先が、流浪の絵師から宿代がわりに受け取ったものという。「須走」「十里木」などの地名や、東西南北、噴火の経過も記されている。
滝口さんは「祖父から『須走村(今の小山町須走)は全滅し、この周辺も火山灰の重みで六割の家が倒壊した』と教えられ、小さい時から富士山の噴火の恐ろしさを感じていた」と語る。その影響もあって滝口家では、富士山噴火など災害時の避難経路や避難場所をきちんと申し合わせているという。
富士山の噴火は、ゆう水や溶岩洞穴などの「自然遺産」だけでなく、無数の歴史的、文化的遺産も残している。その代表格は、全国に千三百以上もある浅間神社の総本宮、富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)。本殿は国の重要文化財。激しい噴火を繰り返す富士山の山霊を鎮めるためにできた神社だ。
「火を鎮めるには水の力ということで、最初は山の中腹付近にあった神社を、天皇の命を受けた坂上田村麻呂がゆう水の地のこの場所へ、八〇六年に移したと伝えられています」。神社の禰宜(ねぎ)、甲田吉孝さんが説明する。
確かに、境内には、富士の清れつな雪解け水が、ゴツゴツとした溶岩からわき出す「湧玉(わくたま)池」がある。底まで見える澄んだ池は、国の特別天然記念物。富士宮口から富士山山頂をめざす富士講の信者らは、この池で身を清めた後、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」を唱えながら登るのがならわしだった。
山頂にある「頂上奥宮」には、「昭和三十年代ころまで、地熱でゆで卵ができた」「昔は地熱のせいか、雪がすぐ解けて積もらない場所があった」など、活火山らしいエピソードも伝えられている。
JR三島駅から徒歩数分にあるのは、溶岩の岩肌があちこちに起伏する名園、楽寿園。駅前の雑踏がうそのように、森の緑豊かな空間だ。こちらも国の天然記念物で、夏などに富士山の雪解け水が溶岩の間からわき出す。そもそも、一万年以上前の噴火で流出した溶岩(三島溶岩)が、約三十キロも離れたこの地に達したこと自体、富士火山の驚異的な力を物語っている。
溶岩が「天然の水道管」となって運ぶ伏流水が生んだ名物は、楽寿園だけではない。三島で有名なウナギも「ゆう水にさらすと身が締まり、余分な脂や泥臭さが落ちて味が良くなる。今も水に数日さらしてから調理され、これがおいしさの秘けつ」(三島市商工観光課)という。
噴火が大量の溶岩を、溶岩が清らかなゆう水を、ゆう水が食文化を生み出した。これはほんの一例。マイナスイメージの強い噴火だが、私たちが今、その恩恵を受けていることは間違いない。
◇富士山の構造◇
富士山は二つの火山を内包した、新旧三段重ねの構造といわれている。七十―二十万年前、現在の富士山より北側に、まず小御岳火山が誕生。約十万年前には、小御岳火山の中腹で古富士火山が噴火を開始した。そして、約一万年前、新富士火山が噴火して古富士火山を覆った。