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城もあった渋谷の歴史…金王八幡宮(東京都渋谷区)
若者が集う繁華街というイメージの強い渋谷に城があったという。意外だ。もっとも、天守閣があるものものしい要塞とは違い、館のような質素なものだったそうだ。
毎年3月最終土曜日に、金王丸17歳の姿の木像が開帳される
渋谷のシンボル、忠犬ハチ公のマークが付いた「ハチ公ソース」。ウスター、中濃、フルーツの3種。東急百貨店東横店南館の地下1階などで販売。各368円
平安時代末に当時の武将、河崎基家と源義家が創建した八幡宮。その一帯に基家の息子の重家が築城した。重家は、京都の御所に侵入した賊を捕らえた褒美に天皇から渋谷の姓をもらった。だから城の名は渋谷城。 「城の名が、渋谷の地名の由来ともされているんですよ」。金王八幡宮の宮司さんが教えてくれた。 しかし残念なことに、渋谷城は16世紀の北条氏と上杉氏の合戦の際、焼き払われてしまった。渋谷城の跡は、 さて、重家の息子、金王丸は17歳の時、源義朝に従って保元の乱で武功を立てた。しかし、続く平治の乱で義朝は敗走中無残な最期を遂げる。 金王丸は、出家し土佐坊昌俊と名乗り、義朝の霊を弔った。その後、義朝の子の頼朝に、「義経を討て」と命令された金王丸は、断れずに討伐に行き、戦死した。その金王丸の逸話が有名になり、八幡宮はいつしか、金王八幡宮と呼ばれるようになったという。 金王八幡宮の現在の社殿は、徳川家光が3代将軍に決定した際、家光の乳母の春日局と教育役の青山忠俊らが建てたもの。社殿の真正面に立つ赤い立派な神門は、通称「赤門」と呼ばれる。 それにしても、渋谷の街を歩いている若者の中でこうした歴史を知っている人っているのかしら? と「赤門」を眺めながら思った。(イラストと文・田中ひろみ) ◇
(2011年4月12日 読売新聞)
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