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宇都宮城(宇都宮市)平安時代に作られ、江戸末期の戊辰戦争の戦火で焼け落ちた宇都宮城が2007年3月、平成の世によみがえる。将軍の日光社参の際に宿所として利用され、関東7名城の一つに数えられたこの城は、本多正純による徳川三代将軍・家光暗殺の陰謀「釣り天井事件」の伝説でも知られる。二つの櫓(やぐら)とそれを結ぶ土塀、土塁、堀の復元に汗を流す、5人を追った。(上田詔子)
今も宇都宮の歴史を語る資料を読みあさり、「企業経営でも、どう時代の変化に対応するか、歴史から学ぶことは多い」と、力を込める。現在、市民側から復元を支える「よみがえれ!宇都宮城市民の会」の会長を務める。「特徴のない街には人は集まらないし、人材も育たない。宇都宮城は、市民の心のよりどころにもなる」と、熱い訴えは続く。 ◎ ◎
「宇都宮城の釣り天井はどこにあった?案内してくれ」。団体役員として勤めていたころ、客人からよくせがまれた。「昭和初期までわずかに残っていた城跡は、いつの間にか影も形もなくなってしまった。どこにも案内できない」。悔しい思いを重ねてきた。 「今やらなければ、歴史は埋もれる」。97年に市が設けた有識者会議「御本丸公園再整備調査検討懇談会」では、地元代表として復元を主張した。市の中央に鎮座する二荒山神社前から南へ800メートルの地点に宇都宮城が記された「真景図」と呼ばれる当時の地図を全委員に配って視覚に訴え、復元への機運を醸成した。 「今回は第一期計画。将軍の宿泊所となった御成(おなり)御殿や本丸御門のない宇都宮城は、さみしい」と語り、城の完全復元を夢見る。 ◎ ◎
数寄屋造りを得意としており城郭建築は初めてだった。「設計図を見ても用語が解読できず、常に不安で一杯だった」と明かす。城郭辞典を片手に設計図に向かい、部分模型を作ったり、宮城県の白石城を視察したり、文献も読みあさった。「試作できないので、常に真剣勝負だった」。 クギは打たずに、柱やはりを継ぎ合わせる伝統工法。木に水分が含まれていると、後で縮んでしまうが、機械乾燥はつやがなくなりもろくなるためタブーで、「木の乾き具合を予測しながら、木材を加工しなければならない」点に最も気を使った。東北新幹線からも東武宇都宮線からも櫓は見える。「えらいこっちゃなーと思う。携われて幸せだった」。 ◎ ◎
左官業の主流は今、鉄筋コンクリート。だが、「左官の基本は土」と、愛知の犬山城や金沢城の復元、土蔵や茶室の施工にこだわってきた。「土がいじれる人は、ごくわずかに」なり、危機感を覚えながら、地元の左官約20人の指導にあたる。 栃木市の田んぼから採取した粘りけの強い土を吟味して選んだ。ワラを混ぜて半年寝かし、竹と縄で骨組みを作った壁に塗りつける。塗っては乾かすという作業を4〜5回、根気強く続け、約20センチの厚さの土壁を作る。幅2メートルの土塀を作るのに800キロもの土を使うが、足場が狭く、骨が折れる作業だ。土塀作りはこれからが本番になる。「みんなが見るものだから気合が入る」と職人としての心意気を見せる。 ◎ ◎
復元される江戸中期の姿は、天守閣がない城の構造から、城としての目玉に欠けるなどとし、復元を疑問視する声もある。宇都宮市郊外に住み、城の存在を知らされてこなかった神宮さんも「計画当初は、自分も冷めていた」と打ち明ける。 でも徐々に、「古いものをダサイと切り捨ててきた時代を反省し、ふるさとを見直し、誇りを感じるきっかけになればと思うようになった」。今では、各種イベントなどに出向いては、その思いを伝え、募金を募っている。
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