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(8)笑いと死生観寅に学ぶ父は、寅さんの映画で何を伝えたかったのだろうと、時々思う。 筑波記念病院(茨城県つくば市)の消化器内科部長、池澤和人さん(43)は子供のころ、父の勝男さん(70)に連れられて、弟と上野松竹に「男はつらいよ」を見に行くのがお盆と正月の恒例行事だった。母は留守番。「男3人で行こう」が、父の決まり文句だった。 父は職を転々としたサラリーマン。決して裕福ではなかったが、息子2人を都内の有名進学校に進学させてくれた。自身は高卒で勉強しろなどとは一度も口にしたことはない。そんな父が、池澤さんが中学受験に合格した年の夏から、なぜか寅さんを見に連れ出すようになった。 映画の内容について父と話をした記憶はない。ただ、画面にタイトルが出てテーマ曲が流れた瞬間、父はそっと「ここで拍手するのがマナーだぞ」と教えてくれた。帰り道、昔住んでいた浅草について「給料日前にお金がなくなっても、周りの人のおかげで不思議と食べていける町なんだ」とも話してくれた。 医師の道に進むのを決めたのは、肺炎で入院した中3の冬。同じ部屋で仲良くなったおじいさんの容体が急変したが、医師の処置で元気に回復したことに感激した。医師という仕事が輝いて見えた。 筑波大医学専門学群(現・医学群)に進むと、父と映画を見に行くことはなくなったが、大学時代も医師になってからも「男はつらいよ」だけは欠かさずに見続けてきた。 寅さんは地位や社会的立場に関係なく、誰に対しても同じように接する。経験から身につけた知恵で正しいことを正しいと言い、間違ったことは許さない。子供のころは面白いと思って見ていただけだったが、いつごろからか、大切なことを教えられているのに気づき始めた。 寅さんの笑いの陰には、いつも悲しみがつきまとう。「にもかかわらず笑う」というユーモアの精神が寅さんにはある。 池澤さんが診察していた患者に末期がんのおじいさんがいた。妻は、病院にお見舞いにくる度に自宅で取れた卵を池澤さんに持ってきてくれた。いよいよ夫が亡くなるという時、彼女は「おじいさんも卵になって生まれ変われればいいのにね」とほほ笑み、池澤さんも「そうですよね」と笑って答えた。孤独を支える笑いの力を改めて感じた。 医師として人の死に立ち会うことを重ねることで、寅さんの見方は大きく変わった。 高校時代、父と見た第26作「寅次郎かもめ歌」。その後、何度も見るうち、この作品に強くひかれるようになった。この作品は、テキ屋仲間が死んだと聞いて、北海道に墓参りに訪れた寅さんが、一人残された娘を東京に連れてきて世話をする話だ。 医師は患者の死までが仕事で、そこから先の人生には立ち入れない。仕事だからと割り切っているつもりだったが、人が亡くなった後から物語が始まるこの作品は、死が終わりではないことを教えてくれた。 ある40歳代の末期がんの男性患者とその父親とに、別々に病状を伝えた時のことだ。男性患者は「おやじにダメージを与えないように(病状を)話してやってください」と言った。一方、父親は「息子が亡くなるのはつらいが、おれだけが泣けば済む。せめて息子が楽になるようにしてやってください」と言った。父子から、それぞれの言葉で相手を思いやる気持ちを伝えられた池澤さんは、「死は奪うだけではない」という思いを強くした。 2005年から消化器内科部長に就任。常時50人の入院患者、1日平均40人の外来患者を担当する毎日だが、同僚の医師らと数か月に1回、自宅で「男はつらいよ」を見る「寅キチの会」を開く。 普段は不摂生の患者をしかり飛ばす女性医師が、寅さんがリリーを看病するのを見て泣きじゃくるのは面白い。研修医を上映会に引っ張り込んで、人生論などについて語り合うのも大切な時間だ。 父には面と向かって聞いたことはないが、父はきっと、寅さんを見ることで、「視野の狭い人間になるなよ」と教えたかったのではないかと、最近、思うようになった。 (2008年8月6日 読売新聞)
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