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第4回、結婚 規範の強制なし
神奈川県平塚市の小池保江さん(49)は1989年、留学中のシリアで、そんな言い方でプロポーズを受けた。当時、31歳。マーヘルさんは5歳下のシリア人。ドイツの大学で医学を学んでいたマーヘルさんとは、彼の里帰り中に知り合った。 落ち着いた語り口に胸がきゅんとした。昔から知っているような安心感があった。交際を始めてからすぐに結婚を意識するほどだったから、小池さんはうれしくてたまらない。「いいわ、入信する」と快くうなずいた。 □■■■ 結婚後、夫の実家の近くで1年ほど暮らした。その間に、長男のマジド君が生まれた。日本人が珍しかったこともあって、近所の人たちとは和気あいあい。「ウンムマジド」(マジド君のお母さん)と呼ばれて親しくしてもらった。 夫の実家は絵に描いたような敬虔(けいけん)な教徒ぶりだった。家族全員1日5回の礼拝を欠かさない。義母は暇さえあれば、聖典コーランをめくっている。しかし、だれも礼拝やコーランを「嫁」に勧めようとはしない。ラマダン(断食月)中にものを食べても、ビールを飲んでも注意されず、1人で外出するのも自由だった。 「どうして礼拝に誘わないの?」。ある日、夫に尋ねてみた。「興味があれば、お祈りの仕方を教えてあげる。でも、そうでなかったら、しなくていいよ」。夫は淡々と答えた。 拍子抜けした。あまりにも淡泊な反応で、妻を引き込もうとする態度はみじんもない。そのことは、夫が真摯(しんし)に祈りをささげる姿とは矛盾するように思えた。 ■□■■ そうした態度の意味が本当に理解できたのは、結婚して10年以上がたってからのこと。平塚市の自宅。夫が仕事に出た後、机にあったコーランを何気なくめくっていると、次の一文が目にとまった。「宗教に強制があってはいけない」 イスラムの根本教義は唯一の神を信じること。ユダヤ教も、キリスト教も同じ神を信じていると考えるため、男性の場合、ユダヤ、キリスト両教徒とも結婚できるのだ。ただ、無神論者とは結婚できない。小池さんはいずれの信徒でもなかったので、夫は結婚のために形ばかりの入信を求めたのだった。 プロポーズ以来、夫が自ら信仰の話をすることはない。あれこれ口にすることも強制になると思うからか、と妻は考える。 言論や社会活動も自由だ。今春「うんむまじど」というペンネームで、『イスラムな気持ち』(文芸社)を出版。そこには留学体験や結婚生活をつづった。ビールは今でも気兼ねなく、グイッと飲んでいる。 ■■□■ 「外国人が、日本の女性と結婚する場合、女性の両親から反対されることが多い。特にムスリムに対する偏見は強まっています」。そう語るのは多摩市在住のパキスタン人ジャーナリスト、ズベルさん(44)。 これまで外国人の劣悪な労働環境を取材してきたが、最近では国際結婚もテーマの一つ。やはり「9・11」や過激派による人質事件の影響で、イスラムのイメージが悪くなったためだという。 ズベルさんが偏見だと思うのは、「怖い」「危ない」のほか、「女性は髪を出して表も歩けない」といった風聞だ。「キリスト教でも修道女はスカーフをするのに、女性の人権侵害だと批判されるのはイスラムだけ。母国でも、かぶる人とそうでない人がいる。日本の着物と同じで、生活習慣のようなもの。女性に苦痛を強いているのではない」とズベルさんは話す。 妻は日本人。今はズベルさんの親の介護のためパキスタンに滞在しているが、スカーフを頭に巻くことを欠かさない。「信仰に目覚めたのかどうか分からないけど、自ら愛用するようになった」と笑う。 ■■■□ ズベルさん自身、結婚の際は親の反対に苦労した。義母とは面会すらかなわなかった。96年春に結婚したが、義母が会ってくれるまでそれから半年もかかった。 その年の暮れ、実家の和室で向かい合った。「あいさつが遅くなって申し訳ございません」。正座のまま頭を下げると、義母はうつむいたまま大粒の涙をこぼした。何を話し掛けても、「はい」とうなずくだけだった。 なぜだか、わからない。肌の色か、民族が違うからか、それとも貧しい土地から来た外国人だから?――いろいろ考えていると、切ない思いが押し寄せた。 あいさつの後、妻や義兄夫婦とテレビを見て、日本語でわいわいと語った。顔をこわばらせていた妻もようやく笑った。その時、テーブルの上に細い手が伸びて、トランプを置いた。「これでもして遊んだら」。義母だった。それが「家族」の始まりになった。 その後、夫妻は2男1女をもうけた。義母は今では大喜びで、孫の顔を見にやって来る。あの時、妻が笑ってくれたから今の幸せがある、とズベルさんは考える。「それも神様のお導き」。昔から日本人もよく口にする言葉で、感謝の気持ちを表した。 (おわり)
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