|
| 東京多摩 トップ | 企画・連載 | 東京多摩の写真 | 東京の天気 | イベント情報 | リンク | 取材網 | 読売グループ |
| 天気 | ショッピング | 雑誌 | 交通 | 写真 | 動画 | データベース | サイト案内 |
【9】家族の歴史を探る11月19日に開催された中央大学文学部と読売新聞立川支局共催によるリレー講座「恋愛、家族、そして未来」の第9回。今回は、史学科日本史学専攻の坂田聡教授が「家族の歴史を探る」と題して講義、「家制度」の成立過程を軸に、日本の家族像の変容を検証。さらに歴史学のあり方にも話を広げた。その要旨を紹介する。 ■歴史の転換期 今私たちが生きている20世紀末から21世紀初頭、この時代をどうとらえるか。未来の学者から見れば、歴史上、一つの大きな転換期とみなされるのではないかと思っています。長い間、日本人の生活や意識を大きく規定していた「家制度」なるものが衰退、あるいは崩壊した時期として。 家制度的なものの衰退は、戦後、徐々に進行したと考えられます。兆候として挙げられるのは、分割相続の一般化、夫婦別姓問題のクローズアップ、核家族化の進行、あるいは離婚の増加、性的規範の緩み、恋愛結婚の一般化等々です。 家制度の評価については、両極端な二つの立場があります。 一つは「家制度美化論」。一部の保守的な政治家や論者に代表される見解で、〈家制度は古代から続く日本の美風。家族崩壊とみなされる諸問題は、家制度的な秩序や道徳の復活によって解決される〉とするもの。他方は「悪(あ)しき封建遺制論」。敗戦直後に丸山真男ら近代化主義者がよく展開した議論で〈家制度こそは悪しき封建制のなごり。一掃しない限り、真に民主的で近代的な社会は建設できない〉といった内容です。 結論から言うと、どちらもかなり一面的な評価だと思います。私は歴史学者ですので、短絡的にその功罪を問うのではなく、家制度の成立過程を具体的に考察することで、ことの本質が探れるのではないかと考え、研究を進めてきました。 本日の講義では、家制度がいつごろ、いかなる過程を経て成立したのか明らかにすることで、家制度が崩壊したと言われる21世紀の家族のあり方、換言すれば家族の未来を探るヒントを得ようと考えています。 なお、これは私独自の概念ですが、家制度が大きく意味を持った社会を「家社会」、それ以前を「プレ家社会」、それ以後の社会を「ポスト家社会」と命名し、実は「プレ家社会」と「ポスト家社会」の間には結構似たところがあり、その共通点に目を向けて行こうと考えています。私たち歴史学者にとって「歴史は繰り返す」という言葉は非科学的なタブーですが、あえて言えば、歴史はもしかしたら繰り返す部分もあるかもしれない。 私なりの「家」の定義を紹介しますと、「家」とは、家の名前である「家名」、家の財産である「家産」、家の職業である「家業」を、父親から基本的に嫡男へ父系の線で先祖代々継承する、それによって維持される永続的な形態です。家を相続する長男には家長として家の財産を一括相続する権利と、それに伴う義務が生じます。 ■象徴としての家名 まず、家のシンボルとしての家名についてお話しします。歴史学的に言うと、苗字(みょうじ)と姓はまったく別物です。苗字こそが家名。姓と苗字の混同は江戸時代から始まっていましたが、一番混乱させたのは明治維新です。 姓というのは氏名(うじな)。古代の貴族が作っていた氏という族集団のシンボルマークです。源氏、平氏、藤原氏、橘氏に代表される集団の名前で、本来は、天皇が家臣に与える公的な名前。これに対して苗字は、先祖代々続く家のシンボル。最初に名乗ったのは中世の武士ですが、室町以降は庶民も名乗るようになる。つまり、姓が上から与えられる名前だったのに対し、苗字は私的に名乗る家名であり、したがって家の成立は、苗字の成立とリンクします。 江戸時代、庶民は苗字帯刀禁止でしたが、明治時代に四民平等となって庶民も苗字をあわててつけたと、まことしやかに言われます。しかし、最近の研究で確定していますが、江戸時代の庶民にも私的に苗字を名乗っているものがかなりいた。要は武士の前で使ってはいけないだけ。私がずっと調査対象としている丹波国山国荘、現在の京都市北部の山国地域に残る古文書を見ると、武士に提出する書類等では「何とか村の誰兵衛(べえ)」などと名乗っているのに対し、同じ人物が村の中でやり取りする書類では堂々と苗字を用いている。 ここからは私のオリジナリティーになりますが、実は室町時代の庶民も平気で苗字を名乗っていた。山国荘には、当時の庶民が名乗っていた苗字がわかる資料が数多く残されており、14世紀前半ぐらいから資料上に3軒の苗字が出てきてます。その数はどんどん増加し、15世紀後半から16世紀に一般化したと考えられます。 ■家産の成立 現在は戦後民法のもとで財産の分割相続が原則になっています。ところが、家制度のもとでの家産は単独相続で、その起源は家産の起源とほぼイコールです。 鎌倉時代以前は、土地財産を娘を含む子供たち全員で分ける分割相続が一般的だった。それが単独相続化した時期について、私はこれがまた室町時代だと言いたい。分割相続は親の財産を等分にしていくので、代を重ねるごとに土地が細分化されてしまう。 鎌倉時代は、武士ならば戦争をやって一獲千金、敵方から没収した領地を恩賞として分けてもらって取り返せますから、問題なかった。庶民も、分割した分、新たに耕地を切り開けば復活可能だった。しかし、ある段階以降は、あまり戦争のない平和な世に。耕地も当時のレベルでほとんど開発し尽くしてしまった。 と、なると、分割相続の繰り返しでは、土地や領地が減り食べていけなくなる。こうして単独相続という制度が一般化していきます。 ■「家社会」と変化 家制度が一般化した室町時代の「家社会」と、鎌倉時代以前の「プレ家社会」とはどんな点が違うのか。 まず、名前の問題ですが、夫婦別姓から夫婦同一苗字へという形でまとめられると思います。鎌倉時代以前は夫も妻もそれぞれ姓を名乗っていて、結婚後も変わらなかった。例えば、源頼朝と結婚後も、妻の政子は平の姓を名乗り続けた。 これに対して室町時代以降、夫婦は同苗字を名乗るようになる。山国荘の例で同一苗字を名乗っている資料が複数あります。女性は夫と同一苗字を用いるか、男性の名前の下に妻とか娘とつける形で“名無しの権兵衛”になってしまう。または、成人後も童名のままで、一人前の大人の名を持てなくなる。 次に財産相続の問題ですが、分割相続であった鎌倉時代には娘も相続権を持っており、女性にも経済力があった。ところが、鎌倉時代の終わりから風向きがあやしくなり、本人の生存中だけの「一期分相続」が一般化。室町時代になるとさらに進行して、化粧料(けわいりょう)と呼ばれる持参財をのぞくと土地財産を一切保持できなくなる。つまり女性の経済力はほとんどなくなり、夫に従属せざるを得ない状況が一般化してくる。 第三に婚姻の問題ですが、高群逸枝という著名な女性史研究者によれば、平安時代の婚姻は夫が妻のもとに通う「妻問(つまどい)婚」から始まり、しばらくたつと、妻の実家、もしくは新居に移り住む。これは男が婿に入る「婿取り婚」とみなされるとしています。別の側面から見ると、気の向く間だけ結びつく不安定な「対偶婚」といえる。簡単に言うと今日の同棲(どうせい)のようなものです。私は、庶民レベルではそれが鎌倉時代まで続いたと考えています。 ところが、室町時代になると、妻が夫の家族の一員になる「嫁取り婚」が一般化。生涯一緒に暮らすのを前提とするような安定した婚姻形態が一般化します。家の跡継ぎが生まれなければ困るとして、男が妻以外の女性と関係を持つことに対してはかなり寛容でしたが、女性の貞操は一方的に重視される。妻の性の自由を認めると、夫は「自分の子供」という確証を得ることができないため、一切他の異性から遮断するような形で囲い込んだのです。 以上のような形で、「プレ家社会」である鎌倉時代以前と、「家社会」の室町時代との間には婚姻形態や財産権、恋愛、女性の貞操観念の問題において大きな隔たりがある。 ■歴史と未来 従来の歴史学者の多くは、経済の発展を前提にした歴史の法則的な進歩・発展史を重視し、その延長線上に未来の理想社会を予測してきました。しかし、家をめぐる問題は、そういった歴史観とはなじまないのではないかと考えています。そこで、私は「プレ家社会」が「家社会」になって、21世紀以降は「ポスト家社会」に転換するという図式を示してみました。 岸本美緒さんという中国史の研究者は、東アジアの歴史を見ていくと、各国の“伝統”と言われるものが、実は太古の昔までは遡(さかのぼ)れず、せいぜいのところ数百年ほど以前の16〜18世紀に一斉に成立したとみなし、これは進歩・発展とはまったく別次元の問題だとしています。この「伝統社会」理解は、私の「家社会」理解と重なります。 最後に話したいのは、「プレ家社会」と、これから来るであろう「ポスト家社会」が実はかなり似ているということ。共通点として夫婦別苗字や夫婦別財の広まり、分割相続の一般化、それから核家族の多さ、離婚の増加、恋愛結婚の一般化などが挙げられます。 そこで、私はあえて歴史は繰り返すと言いたい。日本の長い歴史において、保守的な方たちが強調する日本的な伝統社会である家社会が存続したのは16世紀から20世紀の400年あまり。長い短いは主観の問題ですが、これを私は「たかだか」というふうに取りたいと思っています。 では果たして、歴史学は未来を予言できるのか。私は、「今起こっている現象は過去と同じです。だからびっくりする必要はありません、日本の長い歴史でいえば、昔だって同じようなことがあったんですよ」ということを言ってはいますが、別に未来を予言しているわけではありません。 社会・経済・文化すべてを、進歩・発展という図式で統一して、歴史を過去から未来に至るまで一貫した「大きな物語」として描くのは、歴史学のおごりだと思います。しかし、家の問題のような、個々の局面ごとの小さな物語を小さなレベルで語ることは、もしかしたら可能ではないか。実は本講座もその試みの一つなのです。 (2005年11月19日 読売新聞)
|
地域のお墓情報サイト
支局から |
| ▲この画面の上へ |
|
会社案内|
サイトポリシー|
個人情報|
著作権|
リンクポリシー|
お問い合わせ| YOMIURI ONLINE広告ガイド| 新聞広告ガイド| 気流・時事川柳(東京本社版)への投稿| 見出し、記事、写真の無断転載を禁じます Copyright © The Yomiuri Shimbun. |