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命の尊さ支援で学ぶ

自分で決めるからこそ、人は強く生きていける  UNHCR職員 高嶋由美子さん(町田市)

ウガンダの難民キャンプを視察する高嶋さん。彼女の笑顔にひかれ、いつも人だかりが出来る(2008年、UNHCR提供)

 「緊急支援は私が本当にやりたかったこと。ワクワクしている」。渡航前、港区にある国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)日本委員会で会った高嶋由美子さん(42)は、目を輝かせていた。2年間、事務局長として日本各地で講演を行い、活動資金を募ってきた。

 今月からUNHCR本部(ジュネーブ)に籍を置き、紛争地帯などにリーダーとして派遣される。ケニアやウガンダなどで10年間、難民支援の最前線で活動してきたが、緊急支援は、通常の支援以上に、臨機応変な判断力が求められる。「危険もあるが、命の尊さや人間の強さを学ぶことができる現場」。そう語る高嶋さんには、自ら人生を切り開いてきた強さがある。

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 「私の論文よりも、彼女の話の方が100万倍人の心を動かす」。大学院で国際政治を研究していた1997年、学会で大量虐殺を生き延びたルワンダ人女性の話を聞いて、衝撃を受けた。家族を全員殺され、乱暴された経験があるのに、生き残った罪悪感を抱えながら、女性はこう語った。「だからこそ、私は人生で何かやらなきゃいけない」

 焦りを感じ、アフリカ行きを決断。99年、スーダンで難民支援に参加した。しかし、理想と現実のギャップに悩む。「援助っていったいなんだろう」。難民の健康状態や暮らしぶりなどを調査する仕事を任されたが、難民キャンプに行くと驚きの現実があった。

 書類上は、一人当たり1日2100キロ・カロリーの食糧が行き渡っていることになっているが、実際に配られているのは油、塩、トウモロコシで、肉や魚、野菜はなかった。さらに、現地には30以上の難民キャンプが点在、しかも広範囲にわたるため、十分な調査ができなかった。

 非現実的な物資配給、非効率な仕事……。改善することはできず、勇んで向かった初の難民支援は無力感でいっぱいだった。辞めようとさえ思った。

 翌年、東ティモールで起きていた独立紛争の緊急支援に派遣されたことが転機になった。UNHCR職員も殺されるような過酷な現場も、紛争が収束。同国は独立に向けて動き出し、高嶋さんは、故郷まで帰る難民に付き添った。

 家族や友人との再会に歓喜する難民たちを見て、気づいた。「人が幸せになることが、自分にとってこんなに幸せだったんだ」。同時に、苦難を乗り越え、これから国造りを担う難民たちが放つエネルギーに心が震えた。

 今まで難民を集団でとらえ、「かわいそうで何も出来ない人たち」とみていた。しかし、「たまたま難民になってしまっただけで自分たちと何も変わらない。それぞれに人生があり物語がある」と分かる。これを機に一人ひとりと向き合うようになった。緊急支援を除き、7か国で難民支援に携わった。厳しい状況におかれても、自分たちの未来を切り開こうと生きる人々の強さを知った。

 物資の援助が中断するという都合の悪い情報でも、早く正直に伝えるというポリシーがある。自分たちで考えてもらうことも大事だと思うからだ。「そんなことしたらパニックになるじゃないか」とよく言われる。

 だが、「一番困るのは私ではなくて難民だ」。現場では、少ない情報で決断を迫られることが多い。「それが正しくても間違いでも必ず批判を受ける。でも、何もしない責任の方が大きい」。これが尊厳ある支援だと信じている。

 ウガンダの難民キャンプでは、高嶋さんを見つけた人が相談したいと近寄ってくる。高嶋さんは満面の笑みを浮かべ、彼らの話を聞き続ける。東ティモールで学んだスタイルだ。「つらい難民生活も笑顔があれば前向きになれる」

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 ウガンダで一緒に仕事をしたことがあるUNHCR広報官守屋由紀さん(49)は「チームリーダーであると同時に周囲を励ましてくれるチアリーダーでもある」と評する。

 高嶋さんは昨年4月、被災地支援のため、宮城県石巻市に行った。津波で流された街が、爆撃で破壊された紛争地帯の街と重なった。「自分の国がこんなことになるなんて思わなかった」

 原発事故での政府の対応にはもどかしさを感じた。「一番困るのは決断をしないこと。難民キャンプでは人が死んでしまう」と憤る。同時に被災者自身の決断も重要だと考える。「自分で決めるからこそ、人は強く生きていける」。経験に基づいた高嶋さんらしい言葉だ。

(中居広起)

高嶋さんの歩み

1969年 港区に生まれる

 78年 町田市に引っ越す

 86年 米国に留学

 88年 英国エセックス大学に入学

 99年 学習院大学大学院在学中、国の制度を利用しスーダンで難民支援に参加

2001年 タイに赴任

 02年 UNHCR職員に採用され、ミャンマーに赴任

 04年 ケニアに赴任

 06年 ウガンダ・リラ事務所長

 09年 イラン・テヘラン事務所に上級フィールド調整官として赴任

 10年 UNHCR日本委員会事務局長

 12年 ジュネーブのUNHCR本部に赴任

2012年1月5日  読売新聞)
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