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メダル獲得で恩返しを<上>男子バレーボール 山本隆弘選手 30北京五輪の開幕まで、いよいよあと3日。総勢576人の日本代表選手団の一員として、男子バレーボールの山本隆弘選手(30)、自転車の和田見里美選手(21)の2人の県出身選手が、世界の強豪との勝負に挑む。2人に意気込みを聞いた。 (鷲尾有司) 鳥取市出身の山本選手は、前回のアテネ五輪予選で全日本が敗れた時、引退も考えたが、鳥取商高時代の恩師で2006年に亡くなった塚田忠雄監督への恩返しの思いも胸に、全日本のスーパーエースとして復活。16年ぶりの五輪出場の立役者となった。 ――日本の男子バレーボールは実に4大会ぶりの出場です 出場は、男子バレー復活の第1段階です。完全復活はメダルの獲得。何が何でも決勝トーナメントに進み、メダルを狙いたい。 ――どんなプレーを見せたいですか スーパーエースというポジションは、苦しい場面でスパイクを打ち切って、チームに流れを引き戻すのが役割です。サーブも含め、ここぞという時に決めて、チームを勝利に導きたい。 ――五輪最終予選(5〜6月、東京)にはどんな思いで臨みましたか 今回出られないと、日本の男子バレーは終わってしまう。監督も選手も同じ思いでした。 ――予選で最も印象に残っている試合は (セットカウント2―1の第4セットで)24―17から7連続失点し、逆転負けしたイタリア戦です。マッチポイントを握った時点で「勝った」と全員が思ってしまった。そこにスキが生まれました。 ――その敗戦からどう立ち直りましたか 僕自身は日付が変わると同時に忘れようとしましたが、翌朝の練習でもチームの雰囲気は最悪。「このままでは4年前と同じ結果になる」と思い、アテネ五輪の予選負けを経験した選手で馬鹿みたいに騒いでいるうち、ようやく若手の表情にも闘志が戻りました。 ――五輪出場を決めた瞬間も、あまり涙を見せませんでした 決めるべきところで打ち切れない場面もありました。ここで喜んでは、役割を果たせなかった自分を許してしまう。そう思うと、あまり泣けませんでした。 ――一度は引退も考えたそうですね アテネの予選では、僕が調子を落として惨敗。もう日の丸をつけるべきではないと思いました。でも、塚田先生から「まだ若い。おれの敷いたレールは終わっていない」と言われ、心のもやもやを晴らすことができました。 ――レールとは 高校1年の時、初めて全日本ユースに声がかかりました。「それほどの選手じゃない」と尻込みすると、「だまされたと思って、レールに乗ってみろ」と言われたのです。当時はその意味が分かりませんでしたが、当時から全日本で活躍する姿を思い描いていて下さったんだと思います。 アテネ後も、「隆弘は必ず北京に行ける。退職金で皆を応援に連れて行く」と励まし続けてくれました。 ――多くの県民が活躍を楽しみにしています 小中高校と母校で壮行会を開いてもらいました。ふるさとの子どもたちに夢や希望を与えられるように、精いっぱい自分のパフォーマンスを高めたい。 ――最後に今の意気込みを 塚田先生が敷いたレールの終着点は、メダルだと思う。チームは完成に近い状態にあります。役割を果たし、支えてもらった多くの人たちに恩返しをしたいですね。 <メモ> 身長は2メートル01、最高到達点は3メートル45。パナソニックパンサーズ所属。鳥取市立東中でバレーボールを始め、鳥取商高から日体大へ進んだ。長身サウスポーとして2000年から全日本代表に選ばれ、エースとして活躍。プレミアリーグでも昨季、パンサーズを36季ぶりの優勝に導き、最高殊勲選手に選ばれた。北京で日本男子は、10日からの1次リーグでイタリア、ブルガリア、中国、ベネズエラ、米国と1日おきに対戦する。 (2008年8月5日 読売新聞)
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