連載:海ノ向コウから――ウラジオストク (下)優しさがロシア人呼ぶ

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店内にはロシア人から贈られた人形や小物が並べられている
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「ここのラーメンはおいしいよ」
出されたラーメンは、すっきりとしたスープにつるりとした麺(めん)。古びた大衆食堂の雰囲気を醸し出す店内からは想像し難い上品な味に、驚かされる。「ロシア人もラーメンが好き。故郷に持って帰りたいとよく話している」。女性店員が笑顔を見せた。
伏木港のそばにある、この「せきの食堂」には、船でやって来たロシア人がよく集まってくる。
入り口には、「セキノ レストラン」とロシア語で書かれた看板が掲げられ、「ルイバ(魚)」「ミャーサ(肉)」などと、ロシア語のメニューも用意されている。「スシ」「サシミ」「スキヤキ」など、メニューにない料理まで載っているのは、常連のロシア人が好意で作ったメニューということで、ご愛きょうだ。
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大陸からの引き揚げ者向けにバラック作りの店を開いたのは一九五一年。六三年に、現在の高岡市伏木錦町に店を構えた。当時、海岸沿いには大手の石油基地がずらりと並んでいて、その食事を一手に引き受けた。アルバイトを三、四人も抱え、現在の店主、関野ハツエさん(77)は「伏木で一番の食堂だった」と懐かしむ。八七年に夫の良雄さんが亡くなったが、今でも味を守っている。
ロシア人向けガイドブックにも掲載されているせきの食堂だが、ロシア人との“出会い”は、中古車買い付けツアーが本格化してきた約十年前だった。定期客船で賄いをしていた女性が偶然訪れたのをきっかけに、口コミで評判が広がった。
以来、話題にはこと欠かない。約七年前、若いロシア人女性がハツエさんらの優しさに触れ、「帰りたくない」と、泣き出したことがあった。身元引受人になろうかとも考えたが、周囲と相談した結果、「えらい美人で、男性問題が起こるんじゃないかと、結局断った」(ハツエさん)。
ロシア極東船舶公団理事のスラワ・ピナエフさんは、寄港するたびに来店し、家族ぐるみの付き合いになった。ハツエさんは一昨年夏、ピナエフさんの誘いでウラジオストクを訪問。その年の十一月には、当時十一歳だった娘さんが十日間ほどハツエさん宅にホームステイした。
「サーシャは本当にかわいくてねえ」。ハツエさんは店内に飾ってある写真を指さす。ウラジオ訪問時に、ピナエフさん一家と一緒に撮影したものだ。日本語を勉強しているサーシャが送ってくる手紙は、ハツエさんの大切な宝物だ。
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街にロシア人の姿が目に付くようになって以来、彼らを毛嫌いする人も増えてきた。付近で、タイヤや船のエンジンが盗まれる事件があるたびに、「きっとロシア人のせいだ」とささやかれる。
しかし、戦時中は満州(現中国東北部)で過ごしたハツエさんは、「ロシア人を怖いとか思ったことない」と断言する。「話をすると温かい人ばかり。人間対人間なんだから、日本人もロシア人も差はないのにね」。ハツエさんは、真顔で語った。 (木村 達矢)(ウラジオストク編おわり)
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