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ともに生きる
青い目の女将は“楽天家”

藤屋の前で、笑顔で語らう敦さんとジニーさん


 純和風建築の宿が並ぶ尾花沢市の銀山温泉に青い目の女将(おかみ)が「藤屋」に誕生したのは一九九一年。初めて訪れる湯治客はそのギャップに一様に戸惑う。「大みそか空いてますか」と尋ねられたのを「おみそ、(どこから)買ってますか」とみその売り込みと勘違いする日々を経て、今では銀山だけでなく本県の名物女将に成長した。

 「人生にはいろんなことがある。だから楽しいことだけ考えてきました」。“おしん”の里の老舗旅館に嫁いだ藤ジニーさん(36)を支えてきたのは、そんな楽天的な信条だった。

     ◇

 ジニーさんは八八年、英語指導助手として県北村山教育事務所(当時)に赴任。教員のスキー研修に同行した際、指導にあたったのが藤屋の七代目、藤敦さん(43)だった。米国人としてでなく、一人の女性として接してくれる敦さんにひかれたジニーさんは、自分の方から声をかけた。半年間、離れ離れのまま互いの気持ちを確認した末、九一年に結婚した。

     ◇

 藤屋は大旅館ではなかった。従業員は敦さんとその母。それにジニーさんが加わり、食事の準備から布団の上げ下げまで、すべて三人でこなし、家族の夕食はいつも午後十一時ごろ。わかってはいたが、不満はみるみる募った。一家のだんらんもそこそこに夫のほうは夜中に飲みに出掛けてしまう。

 「日本人の男性は“付き合い”大好きでしょ。私の主人もそれ得意ですよ」。残されたのは自分と義父母のみ。言葉に不自由していたことも手伝って、互いにじっと押し黙るだけの時間が延々と続いた。「犬を連れて山に登っては、英語で大声で泣いたこともありましたね」。

 結婚から八か月、ジニーさんは米国ユタ州の実家に帰る。「一緒にいる時間を増やして。でないと帰らない」――。

     ◇

 数週間後、ジニーさんは夫の元に戻る。言い分を聞き入れてくれたからだ。「最初のころは良くやってくれました。でも今はぜんぜん。ダメです」。

 とはいえ、妻にかける夫の信頼は揺るぎない。寝る場所も別なら、おんぶもめったにしない――そんな米国流の子育てに不安を抱いていたある夜、長女沙織さん(5)が一人で起き出してトイレに向かう姿を目の当たりにし、異文化への認識を改めさせるきっかけとなった。

 「外国人でなくとも結婚していれば毎日が大変。北海道と沖縄の人が結婚しても摩擦は起きる。一緒に暮らすと決めた以上、それらを乗り越えることが大事なんですよ」。十年余り暮らしてみて、敦さんが最も力を込めるのはそのことだ。

 今はすっかり和服姿が板に付いたジニーさんだが、女将の仕事となると敦さんは厳しい。「私も彼女もまだまだ。目指す旅館の姿には到底、届いていない」。二人三脚は続く。


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