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【10】治水の知恵アジア変える

■「自然との共存」説く信玄堤

「川は自然、社会の一部。川が変われば人も変わる」。信玄堤に立ち、留学生らに思いを伝える砂田教授(昨年12月18日)

 甲府盆地を悠然と流れる釜無川を背に、山梨大大学院医学工学総合研究部の砂田憲吾教授(62)が英語で語りかけていた。

 「信玄堤(づつみ)をはじめとした、一連の治水の仕組みには、高度な技術とともに昔の人の知恵と経験が詰まっているんです」

 昨年12月18日。ベトナム、インドネシア、中国、カンボジアからの留学生ら約15人の目が一斉に、かつて「暴れ川」として知られた釜無川を治めている信玄堤(甲斐市)に注がれた。

 砂田教授は、武田信玄の治世の1560年前後に完成したとされる信玄堤を中心とした治水の仕組みを一連のシステムとしてとらえる。「根底には、自然を畏(おそ)れ敬い、『共存共栄していく』思想が貫かれている」。こうした治水哲学が、国家事業として行われているアジア地域の河川管理に役立つと確信している。

 かつて釜無川は、盆地を網の目のように流れ、ひとたび洪水を起こせば、多くの人々の生活や生命を脅かした。その流れを鎮め、水害から守ったのが信玄堤だ。

 だが、釜無川の治水は信玄堤だけでは完結しない。

 信玄堤より上流で釜無川に合流する御勅使(みだい)川。川の周辺に、岩や石を組み合わせた巨大な「将棋頭(がしら)」「石積(いしつみ)出し」などと呼ばれる古来の水防施設が点在する。川の流れを変え、安定させる技術だ。

 これらの施設により、御勅使川の流れは「高岩」というがけにぶつかるようにして釜無川と合流するように変わった。水はがけに衝突することで渦を起こし、荒れる流れのエネルギーを吸収する。大洪水には、高岩が「自然の堤防」になった。

 信玄堤下流の昭和町から中央市にかけての「霞堤(かすみてい)」は、わざと途切れ途切れに造られた。大雨の時、堤防の切れ目から緩やかに水をあふれさせることで、破壊的な洪水を防いだ。あふれた水は、川の水位が下がれば自然と川へ戻った。

 砂田教授が、アジアの留学生を迎えるようになって今年で6年目。国境を兼ねるほど広大な河川や、風土も文化も異なる国をまたぐ河川が多いアジアでは、画一的な堤防技術より、自然を生かす古来の思想・哲学を身に着けた人材育成が不可欠だと考えている。

 「世界のリーダーとして、国際的に活躍していく学生の皆さん。歴史的な経験を学び、水資源の管理についてすばらしい発想力を手に入れよう」。留学生への指導もつい熱っぽくなる。

 砂田教授に学ぶインドネシアからの留学生ラッティ・インドリ・ハプサリさん(30)は「日本の河川管理は並はずれており、河川に対する考えが変わった。インドネシアにとって有意義だ」と語る。

 砂田教授は、三珠町(現市川三郷町)出身。幼い頃から、釜無川や富士川が身近な存在だった。今は海、雲、雨、川と水の大きな循環を考える「水文(すいもん)学」の世界的権威だ。

 だが、たどり着いた答えの一つは故郷の川にあった。そんな巡り合わせの中、「水の国」山梨を治めた先人が築きあげた知恵や思想が、アジアに新しい治水の芽を育み始めている。

●記者寸言● 信玄堤の歴史を研究する県立博物館学芸員の西川広平さん(34)は「450年前の信玄堤が遺構ではなく、現在も働き続けている。驚くべきことだ」と語る。だが、釜無川の大半は、信玄堤の思想とは相いれない強固な現代の堤防で抑え込まれ、砂田教授も「今は、人と川が遠い」と指摘する。

 山梨は、世界に誇れる水との付き合い方を育んできた。この地に生きる私たちこそ、足元を見つめ直してみたい。(越村格)

(おわり)

2009年1月17日  読売新聞)
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