「12人の怒れる男」 (ロシア)混沌ロシアそのものシドニー・ルメット監督の同名の傑作(1957年製作)を知る人なら、誰しも「なぜ今?」とつぶやくだろう。が、ロシア映画の重鎮ニキータ・ミハルコフ監督の名誉にかけていえば、これは単なるリメークではない。原題は「12」。確かに「怒れる男」には違いないが、12人の「現代ロシア人」の陪審員による熱気あふれるディスカッションドラマなのである。 有罪か無罪か。殺人事件での少年の評決が焦点となる。それも、元ロシア軍将校の養父を殺した容疑のチェチェンの少年となると、当然その裏に隠された「政治」と「社会」のひずみが頭をもたげてくる。案の定、ここでは社会の各階層を代表するような陪審員が犯罪の陰に隠れた「ロシアの今」を語り始めるのだ。俗悪な拝金主義に民族差別、そしてモラルの喪失を。 改装中の陪審員室の代わりとなった殺風景な学校の体育館で展開される議論は次第に熱を帯びる。俳優陣の巧演と密度の濃い演出が相まって練り上げられた舞台劇の趣だ。 が、ここで描かれるのは社会正義を貫く裁判劇というより、急激な経済成長や格差と差別に揺れる混沌(こんとん)の現代ロシアそのものといっていい。終幕のミハルコフ自ら演じる陪審員長=写真中央奥=の逆転評決ともいえるうがった結論には、いささか違和感を覚えたけれども。2時間40分。日比谷・シャンテシネ。(映画評論家・土屋好生) (2008年8月22日 読売新聞)
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