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ジブリをいっぱい

【ジブリの挑戦】最終回「世界」創る苦悩と喜び


「ハウルの動く城」より(C)2004二馬力・GNDDDT
 アニメーションの世界では、登場人物の無意識の演技はありえない。主人公が鼻をかくのも、思わず目をつぶるのも、腕を上げ下げするのも、すべて、アニメーターが、意識的に描いた結果だ。

 実写映画では、どんな巨匠、名匠と言われる監督でも、役者のまばたき、瞬間的な反応の一つ一つまでを支配することは不可能だ。だが、アニメーションの世界は、それらがすべて監督の、アニメーターたちの手の中にある。道ばたに置かれた石ころ一つも、彼らの意識の表出である。

 だから、実写映画とアニメ映画は、似て非なるものだ。眼前の現象をカメラで捕らえ、その映像を1秒24コマに分解してフィルムに焼き付けるのが実写映画の世界だ。一方、アニメーションはひとコマずつ描いていく。

 実写が「分解」作業とすると、「集積」の作業とも言える。人間の知覚では認知できないような瞬時の画像を丁寧に描き、それを高速で再生することによって、ある一つの現実を作り出す。

 アニメーションを作るということは、登場人物たちの無意識の領域も含めて、世界を丸ごと創(つく)ることなのだ。ここでは作り手が、神になるのである。

 「アニメーションは作っている人間の意識が出やすい。何でもかんでも手作りで、みんなテーブルの上で作っちゃうわけだから。ほかの要素が外から入る余地はほとんどない。自分が思ったものしか描けないし、言えない」(押井守監督)

 だが、世界を丸ごと任された神々の苦悩は深い。1年以上をかけてアニメーションの現場を取材する過程でも、彼らの苦悩や危機感に耳を傾ける機会が多かった。

 「アニメーターは、自分の感覚をフル稼働しないとできない仕事なんです。でも、最近は若いバーチャル世代が体でなく映像で体験した感覚を元に絵にしようとする。『あの時のかっこよかった映像をマネしたい』みたいな。感覚のコピーになってきている」(「ハウルの動く城」の作画監督・稲村武志)

 同じ作画監督の山下明彦は、宮崎駿監督の苦悩を語るエピソードを教えてくれた。

 「何ページ分もの絵コンテを捨てることもあるんです。『せっかく描いたけど、違うアイデアが出てきたから捨てよう』って。絵コンテにしても原画にしても苦しんでますよね。無限にある道の中から、自分にしっくりくるものを探して、苦しんでいるようですね。でも、捨てる理由が僕らには分からないレベルの時が多いんですけど」

 世界は手中にある。だが、その世界に対して、誠実であろうとすればする程、苦悩は深まる。

 苦悩の果てには喜びもある。

 「原画担当には、何もない真っ白なところから、絵を作る才能がいるんです。私にはその才能はないと思った。でも、自分が役に立つ仕事でいい仕事がしたかったので、動画を一生懸命やってる。下手な絵は恥をかくけど、できあがりのフィルムに近いところで働いている実感がある」(動画チェックの舘野仁美)

 「自分がいろいろ模索して描き上げ、それがすごくうまくいった時というのは、やっぱりうれしいですよね」(動画チェックの中込利恵)

 「監督が描いた絵コンテを原画担当が丁寧に描くうちにイメージがどんどん膨らみ、さらに美術でどんどん重ねる。ものすごい絵の密度になり、監督もびっくりということもあるんですよ」(美術監督の武重洋二)

 アニメーターの引く、たった一本の線、一筆の絵の具が、登場人物に命を与えも奪いもする。それこそが神に付与された特権なのだ。だから彼らはきょうも、白い紙に真剣の線を引き続ける。

 今年元日付の押井監督と鈴木敏夫プロデューサーの対談に始まり、アニメーション映画の大作「イノセンス」「ハウルの動く城」に密着した大型連載「ジブリの挑戦」は、2か月の集中連載「ピクサーの秘密」をはさみ、1年間にわたって続いた。その対談で鈴木プロデューサーがこう指摘した。

 「時代を表すテーマがあるのだとすれば、現代のそれは何なのか。何を描けばいいのか」――。価値観が多様化、相対化した今日、この指摘は極めて重要な問題をはらんでいる。

 2つの作品は観客に今、その「何か」を提示した。今度は我々が、自分たちの受け取ったものが何だったのかを、考える番である。

 ご愛読ありがとうございました。(原田康久)(おしまい)


2004年12月21日  読売新聞)
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