現在位置は
です

本文です
一覧ニュースインタビュー本・DVD・CDコクリコ坂から作品
ジブリをいっぱい

「事業体」としてのNGO活動 「ピース ウィンズ・ジャパン」大西健丞さんに聞く

大西 健丞(おおにし けんすけ)さん


大西 健丞(おおにし けんすけ)

1967年、大阪府生まれ。上智大学卒業後、英・ブラッドフォード大学大学院へ。「アジア人権基金」のイラク北部担当調整員を経て、96年、「ピース ウィンズ・ジャパン」設立。2000年、官民が連携した国際人道支援システム「ジャパン・プラットフォーム」設立に参加


 世界の紛争地や災害被災地で支援活動を続けてきたNGO「ピース ウィンズ・ジャパン」(PWJ)の統括責任者・大西健丞さんが、スタジオジブリのフリー雑誌「熱風」で綴った連載「NGO、常在戦場」が、単行本化された。大西さんに聞いた。(依田謙一)

――なぜ、「熱風」で連載することになったのですか。

大西 僕が取り組んでいる広島県・鞆の浦での「坂本竜馬ゆかりの家」保存修復活動に、鈴木敏夫プロデューサーや宮崎駿監督が興味を持って下さり、知り合ったのがきっかけです。福山市鞆町に、坂本竜馬と紀州藩の船が衝突した「いろは丸事件」(1867年)後に談判を行った「旧魚屋萬蔵宅」という建物があるのですが、文化的にも歴史的にも貴重であるにも関わらず、空家として放置されていた。それを船宿として再生し、地域活性化に役立てたいと「鞆まちづくり工房」というNPOと一緒に準備を進めていたら、ジブリに応援していただけることになったんです。鈴木プロデューサーと話しているうちに、「これまでの歩みをまとめてみたら?」と提案され、いい機会かもしれないと連載を始めました。

――NGO活動に興味を持ったきっかけは。

大西 イギリスのブラッドフォード大学大学院で、イラク北部のクルド人居住区に対する「人道介入」をテーマに修士論文を書いていた時、著名な論文を書いた人たちの多くが、実際は現地に赴いていないことが分かった。そういう僕も現地を知らず、想像力もないままに書いていて、「これでいいんだろうか」という思いが強くなっていた。それで、知力が足りないのなら体力で取りかえすしかないと(1993年に)トルコからイラク北部のクルディスタンに入ったんです。トルコでは何度も「行ったら殺されるぞ」と言われましたが、「行かないと分からない」という気持ちで乗り込みました。

――実際に行って感じたことは。

大西 難民キャンプなどを訪れて、欧米のNGO活動の質と量に驚いた。それまで「スモール・イズ・ビューティフル(小さいことが美しい)」がセオリーだと思っていたのが、「ノット・オールウェイズ(常にそうではない)」だと分かった。小さいことだけにしがみついては、圧倒的な数の難民や悲惨な状況に対して、対応しきれない。現地で評価されるためには、必要に応じて量とスピードが必要なんです。同じお金を持っていても、速さが倍だと、内容も倍に見える。

――NGOに対する価値観が変わった。

大西 スピード感と規模を維持し、「事業体」として動いていることに心を動かされ、大学院を出る時、進路希望を聞かれ、「NGOワーカー」と答えました。そうしたら、イギリスでそういうことを言う日本人は滅多にいないと驚かれた。ただ、実際にはどうすればいいか分からず、悩んだまま帰国したら、日本のNGO「アジア人権基金」がイラクに派遣予定だった人が急きょ行けなくなったと聞き、「経験はありませんが、挑戦させて下さい」と手を挙げたんです。それで94年からクルド人自治区に関わるようになったのですが、しばらくしたら「アジア人権基金」が資金難で撤退することになり、ここで支援をやめるわけにはいかないと、96年にPWJを立ち上げました。

――ほかの進路は考えなかった?

大西 新聞記者だった父が病に倒れ、植物状態になりながら言った言葉が「俺、会社にいかなあかん」でした。僕はこの言葉が忘れられない。病気で退職した後だったのに、頭の中には会社のことがこびりついていた。それを見て「なんか違う」と感じ、そこまでして会社には行きたくないと、サラリーマンになることをやめました。


「ジャパン・プラットフォームでは官民連携による国際人道支援を行っています。今後は経済界のいっそうの参加が重要になってくるでしょう」と語る大西さん

――海外に飛び出したのは、日本社会に対する不満の表れでもあった?

大西 それはもっと単純な理由です。僕が進路を決めようとしていた頃は円高だったので、国内で何か始めるより、海外に飛び出す方が早かった。その際に選ぶ方向が、IT関係のベンチャーか、NGO的活動かという違いでしかなかった。ITがお金を生む分野になるという気はしていましたが、当時はまだインターネットが始まったばかりで、友人が部屋の隅っこ同士でメールを交わしながら笑っている姿に「アホちゃうか」としか思わなかった。むしろ、イラクで欧米のNGO活動を見たことで、NGOも公益を民間が担う「シビック・ベンチャー」として、事業体になりえると思ったんです。始めた当初は、散々「お母ちゃんが泣いてんで」と言われましたが(笑)。

――周囲の理解を得るのは難しい。

大西 最近は、NPOやNGOで活動する人も増えて「当たり前」になりつつありますが、ある年齢を境に、見る目が変わります。特に55歳以上の方から理解されないことが多い。なぜなんでしょう(笑)。

――政治家も?

大西 タカ派色が強い政権は、NGOと相性が良くないと思われがちですが、小泉政権に関して言えば、「ポスト小泉」とされる人たちも含め、よく理解してもらっていると思う。でも、やっぱり55歳以上の議員は冷たい(笑)。

――若気の至りだとでも思われているのでしょうか。

大西 ホリエモン騒動じゃないけど、僕も含め、若い人が前に出ると「出る杭は打たれる」部分はある。堀江(貴文)氏の逮捕で感じたのは、事件はともかく、若い人が委縮してしまうのではないかということ。良くも悪くも彼に関心を持った若者が、「やっぱり日本ではダメなんだ」と思っていないか心配です。

――NPOやNGOで活動したいと思う若い人は、国内よりも海外に目が向くことが多い印象を受けますが、誤解でしょうか。

大西 それはむしろマスコミのとらえ方の問題ではないでしょうか。決して国内を軽視しているわけではありません。ただ、国内での活動が大きな課題であることは事実。PWJとしても現在、東海地震など国内の災害に備えた対応を練っています。

――新しく何かを始めようとしている若者へのアドバイスを。

大西 大変な時に決して慌てないこと。特に中心にいる人はそれを強く自覚する必要がある。銃を突き付けられ、何度も命の危険を感じてきた僕が言うから、間違いない。ピンチの時に堂々とできれば、強くなるし、周りが見えてきますよ。



 
「NGO、常在戦場」
 NGO活動に足を踏み入れるきっかけとなったイラク北部での経験から、PWJ設立への経緯、世間を騒がせたアフガニスタン復興支援会議のNGO排除問題などを当時の思いとともに振り返った「中間報告」。徳間書店より1575円(税込み)で発売中。大西さんのホームページはこちら


2006年3月7日  読売新聞)
現在位置は
です