「監督の味方」が第一の仕事 鈴木敏夫プロデューサー鈴木 敏夫(すずき としお)さん
2001年夏に封切られたアニメ映画「千と千尋の神隠し」は、観客動員2350万人という国内記録を樹立した。アメリカ版は23日に発表されるアカデミー賞で長編アニメーション部門の候補作となっている。鈴木プロデューサーに聞いた。
10歳の少女、千尋は、異世界の湯屋に迷い込み、魔女の湯婆婆(ゆばーば)に名前を奪われて「千」となる。元の世界に戻る道を探る中で、川の神ハクとの愛をはぐくみ、妖怪カオナシとも心を通わせる。「千と千尋」はそんな成長物語だ。 「監督の宮崎駿は最初、千尋とハクの恋物語を底流にしながらも、千尋が魔女と戦う冒険活劇を考えました。“2段構えでは3時間の作品になる”と僕は指摘しました。沈黙の後、“あっ”と言って宮(崎)さんが考えたのがカオナシの話でした。ボーッと立つ無気力なカオナシに、観客は今の日本人を見たのでしょう。その時代性が大ヒットした理由だと思います。ただ、僕は感想は言っても、作家の領域は侵しません。作家は作りたいものを作ろうとします。その作家のストレスは、失敗が許されない今の日本映画界では大変なものです。だからプロデューサーの第一の仕事は、監督の味方になることです」 宮崎、高畑勲の両監督とは1978年、徳間書店の「月刊アニメージュ」副編集長として出会った。 「僕はその前に週刊誌の記者をやり、リアリズムでものを見る癖がついていました。高畑と宮崎は“理想を失わない現実主義者”でした。作家がいなくなったとされた時代でしたが、ベトナム戦争などの時代を映す作品を作っていた2人に、僕は作家を見いだしました。以来25年間、特に宮さんとは毎日のように話しています。話すのは現在と未来だけで、過去を話したことはありません。長続きの秘けつでしょうか」 スタジオジブリは85年に設立され、鈴木氏は「アニメージュ」との掛け持ちで参加した。 「“楽しいことをやれたらいい”。これがジブリの出発点でした。気楽にやるために、最初は作品ごとにスタッフを集め、完成したら解散しました。ところが『魔女の宅急便』の制作中に、宮さんが「これで終わりにしよう。人が育っていない」と言い出しました。それで89年に僕は専従になり、スタッフも社員にしました。平均100万円余りだった彼らの年収も倍にしました。次の『おもひでぽろぽろ』の制作費は倍に膨れました。社員の生活もあります。本格的に宣伝してヒットさせなければと初めて思いました。転機でした」 次回作の制作開始を前に、昨年6月半ばから半年余り、スタッフのほぼ全員を有給で一時帰休させた。 「元気になって戻ることだけが条件でした。逆説的ですが“大事な仕事は明日に回せ”です。79歳の母は僕の肩書が上がると、“会社はお前を働かせようとしているだけだ。そんな話に乗るな”と怒ります。お国のためにと、息子を戦争に差し出す親を見た世代ですからね。母の影響か、ジブリを大きく、という野心は僕にはかけらもありません。むしろ目の届く範囲で、身の丈に合った仕事をし続けたい。それが夢です。僕自身は遊びも仕事にしてしまいます。社員の充電中、大好きだったNHKのドキュメンタリーをDVDにして出しました。僕も宮さんも仕事が好きなんですね、多分」(インタビュー 滝沢康弘) (2003年3月17日 読売新聞)
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