現在位置は
です

本文です
一覧ニュースインタビュー本・DVD・CDコクリコ坂から作品
ジブリをいっぱい

「イノセンス」は、20年目の“宿題” 鈴木プロデューサーに聞く

鈴木 敏夫(すずき としお)さん


鈴木 敏夫(すずき としお)

1948年生まれ。慶応大学文学部卒業後、徳間書店に入社。アニメーション雑誌「月刊アニメージュ」の創刊に参加。同誌が縁で高畑勲・宮崎駿・押井守監督と知り合う。スタジオジブリ事業本部本部長・徳間書店常務取締役

 ここに、1枚の写真がある。「イノセンス」製作委員会用資料と題された冊子に掲載されているこの写真には、3人の男が写っている。左に宮崎駿、右に押井守、そして真ん中にいるのが、現スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫である。3人とも、若い。知り合ったのは、鈴木が「月刊アニメージュ」副編集長の時だったというから、関係はかれこれ20年以上前に遡る。以来、3人の付き合いは、真ん中に鈴木を挟んだまま、今に至る。

 その鈴木が現在知り組んでいるのが、来春公開予定の押井監督の新作「イノセンス」。鈴木プロデューサーに聞いた。(依田謙一)

――鈴木さんが「イノセンス」のプロデューサーを引き受けたのは、なぜですか。

鈴木 石川さんに騙されたんです(笑)。「プロダクション I.Gを変えたい。この作品を期に、会社として脱皮したい」と言われましてね。力を注いで作っている分お金がかかるんで、出資会社を探してくれないかと。「じゃあ出資会社を探すところまでは力になるよ」ということになり、何とか紹介できた。この時点で僕はお役御免のはずでしたが、それじゃおさまらなくなりまして。出資会社の中には「鈴木さんが続けないなら降りるよ」なんてところも出てきてしまった。そういう時に、石川さんは喋らない。目で訴えてくる(笑)。

――思い切りあてにされていた。

鈴木 嬉しいことですが、これは悩みました。来年は「ハウルの動く城」(宮崎駿監督)も控えていますから。ただ、押井さんとの間には、20年前からひっかかっていることがありまして。

――ひっかかっていること?


「イノセンス」より
鈴木 まだ僕が「月刊アニメージュ」にいた頃ですが、当時、押井さんと、「ルパン三世」の映画用の企画を立ち上げたことがありました。しかし、諸々の事情で実現には至らなかったんです。その時に「でも、なんかやろうよ」と言って押井さんと作ったのが、オリジナルビデオの「天使のたまご」(1985年)。この作品は、それまで押井さんが携わってきた「うる星やつら」に代表されるような娯楽路線とは一線を画すものになりました。そして、あの作品を機に大きく方向転換した。以降、彼の作品を観ていると、僕は必ず「天使のたまご」のことを思い出しました。良かったのかなということも含めて。そこで、石川さんの尽力で今回の依頼があった時に、何か一つ繋がった気がしたんですね。20年前の宿題を終わらせることができるんじゃないかって。

――押井監督を、娯楽路線に引き戻すということですね。

鈴木 あの人は、もともとそっちの方が得意なんです。ところが、顔合わせで、押井さんに開口一番「敏ちゃん(=鈴木プロデューサー)が参加するには、条件が一つだけある。それは、作品に口を出さないことだ」と言われた。

――喧嘩を売られた。

鈴木 売られれば燃える方ですからね。僕はこう言いました。「中身に口を出すつもりはない。ただし、一つだけ気に入らないことがある。このタイトルはよくない」と。当初は「攻殻機動隊2」というタイトルだったんです。海外でいくら評価が高くても、日本で12万人しか動員していない作品の続編が、売れるはずがないんです。僕は、代わり「イノセンス」というタイトルを提案しました。

――押井監督の反応は。


鈴木 しばらく沈黙した後、「その手があったか」って。勝ちましたよ(笑)。映画作りにとってタイトルというのはとても重要。それを目指して作っていくわけですから。「機動隊」という文字が入っていたら、やっぱり機動隊の話になっていく。しかしそれでは、沢山の人に観てもらえません。押井さんは、他のことでも挑発的でした。僕が主題歌を入れたらどうかと提案したら、これまでいい思い出がないから入れたくないと言う。「作品を台なしにされる」と。

――再びゴングが鳴った。

鈴木 それで僕は「イノセンス」に合うんじゃないかと、ジャズシンガーの伊藤君子さんの歌う「フォロー・ミー」という曲を聴いてもらうことにしたんです。押井さんは「気に入らなかったら、途中でも席を立つ」って。頑固な人なんですよ。ところが、彼はじっと最後まで聴き入ってくれました。

――2連勝ですか。

鈴木 いや、正確には3連勝です。台詞も一つ変えてくれって頼みましたから。押井さんは「来た来た」って言っていましたけど(笑)。これは、内容に口を出したんじゃありませんよ。間違っている部分を正したんです。(次ページへ続く)

2003年11月4日  読売新聞)
現在位置は
です