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ジブリをいっぱい

 映画のためでなく始まった漫画「ナウシカ」だったが、その面白さに、次第に映画化を期待する声が高まっていく。宮崎駿は、連載途中だったが映画化を決断。自ら監督をつとめ、プロデューサーに盟友・高畑勲を迎えた。

 環境問題をテーマにした「ナウシカ」は、当時のエコブームにも後押しされ、観客の心をつかんだ。優しさと凶暴さを合わせ持ったヒロイン。自然の驚異と母性を体現した存在、王蟲(オーム)。風が吹き抜け、飛行機が舞い、主人公が空を飛ぶ。「宮崎アニメ」の魅力は、すでにこの作品で存分に発揮されていた。

――映画は、92万人を動員しました。


鈴木 実はあの時、彼は「もう監督は二度とやらない」と言っていた。作品に誠実であるために、時には、親しいアニメーターが描いてきたものも否定しなきゃいけませんが、それがしこりを残す場合もある。宮さんはそういうのに疲れてしまっていたんですね。また、ヒットによって手元にお金があることにも苦しんでいました。「友人を失った上に、こんなお金で何を買えというんだ」と。

――宮崎監督らしいエピソードですね。

鈴木 お金の使い道についていろいろ相談しているうちに、ドキュメンタリー映画を作ろうということになりました。それが、宮さんがプロデュースして、高畑さんが監督した「柳川堀割物語」(87年)です。

――「ナウシカ」の次は実写だったんですね。

鈴木 ところが、予算は十分あったはずなのに、あっという間に足りなくなった。宮さんが僕のところに来て、「家を抵当に入れるのは嫌だ」とぼやくので、「予算作りのためにもう1本やりますか」と答えた。それで、「天空の城ラピュタ」(86年)を作ることになったんです。

――鈴木さんから見て、宮崎監督は当時と変わりましたか。

鈴木 ずっと一緒だから正直言って分からないですね。ただ、変わらないのは、彼と一緒にいると楽しいということです。例えばこの前、ちょっと用事があって一緒に鎌倉に行ったんですが、周囲の人が「あ、宮崎駿だ」と指差すことに驚くわけですよ。

――自分が有名人だということに気づいていない。

鈴木 しかも、「鈴木さんと一緒にいるから気づかれるんだ」と言う。どうしてかと聞いたら、「鈴木さんは顔に締まりがないんだ。僕は髭も剃ったし、腹に力を入れているので、一人で電車に乗っていても気づかれない」って。絶対気づかれていると思うんですけどね(笑)。

 最後に、「当時の宮崎監督に感じたような面白さを感じる若手はいますか」と聞いてみた。鈴木プロデューサーは、しばらく考えてから、「いませんね。僕が歳をとったせいもあるでしょうけど」と答えた。

 しかし、押井守監督曰く、鈴木プロデューサーは「危険な男」だ。この言葉を額面通りに受け取るわけにはいかない。もともと記者である彼は、この言葉が表に出ることで承知で、「いませんね」と答えたのだ。若いアニメーターにエールを送るために。

 これも考えすぎでしょうか、鈴木さん。


DVD「風の谷のナウシカ」 宮崎駿監督

 「月刊アニメージュ」で宮崎駿監督が連載していた漫画を原作に制作された長編アニメーション。スタジオジブリ誕生のきっかけにもなった。1984年作品。
 人類によって引き起こされた最終戦争「火の7日間」で壊滅した近未来を舞台に、風の谷の王妃ナウシカが、谷を守るため、トルメキア王国の陰謀に立ち向かう姿を描く。


(C) 二馬力・徳間書店・博報堂
2003年11月25日  読売新聞)
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