“自分から入っていく”映画「キリクと魔女」高畑 勲(たかはた いさお)さん
日本語版翻訳・演出をしたフランスの長編アニメーション「キリクと魔女」(今夏公開、ミッシェル・オスロ監督)と、14日から東京都現代美術館で開催される「スタジオジブリ立体造型物展」について、高畑監督に聞いた。(依田謙一) ――「キリク」に出会ったきっかけは。 高畑 日仏学院(東京・飯田橋)でオスロ監督の作品を上映した際に、本人が来日して、僕を対談相手に指名してくれたんです。それまで彼の作品を観たことがなかったので、あわてて彼の作品を取り寄せてもらったら、「これはすごい」と。日本のアニメーションがやっていないことをやっていることに驚かされた。よく聞けば、1998年に広島国際アニメーションフェスティバルで上映されていたにもかかわらず、どの配給会社も公開しようとしなかった作品だそうで、何とか公開できないかと思い立ちました。 ――日本のアニメーションがやっていないこととは。 高畑 日本の作品は、作品の中に人を連れ込んであれよあれよという間に興奮させるタイプが多い。僕は、そういう観客が受身になる方法に対し、ずっと疑問に思っていました。自分の作品では外から対象化することを心がけて作っているつもりですが、「キリク」は、この点で実に優れています。絵が影絵のように平面的であることで、登場人物を客観視できる。作品を観ながらものを考えることが可能なり、観客が能動的になります。連れていかれるのではなく、自分から入っていくんですね。 ――なぜ日本では公開されずにいたのでしょう。
――「なぜ? どうして?」と問いかける主人公キリクが印象的です。 高畑 彼は自分の生まれた村に呪いをかけている魔女カラバについて、「どうして意地悪なの?」と常に立ち止まって考えます。時にはカラバ本人にも尋ねながら、ひとつひとつ解明していくわけです。これは現実の生活でも大切なこと。最近は物事に対して原因を考えるというという視点が薄れているように感じます。映画のなかでは村びとたちがそういう描かれ方をしますが、現代の私達の似姿ではないでしょうか。 ――同じくアフリカを舞台にした映画に「ライオンキング」(94年)があります。
(2003年6月2日 読売新聞)
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